ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

2018-01-01から1年間の記事一覧

金丸家と都農参り

金丸家は修験の家系で同家に残る「日下部姓金丸系図」によると、古代日向の代表的豪族日下部氏にゆかりのある家柄である。日下部氏は日向中部を治め代々妻万神(都万神社)に仕えた。日下部氏は仁徳天皇の皇子、大日下王と若日下王のために設けられた御名代部…

高鍋藩における修験道と雨乞い

宮崎みんなのポータルというサイトのコラムに面白い記述があったので、取り上げたい。 高鍋藩では臨済宗を藩の宗教とし、密教を守護宗として保護が加えられ、その信仰もあつかった。そのため数多くの寺院の建立があり、その大部分は禅と密であった。 この時…

永友司日記③

明治三年(一八七一)p101 七月廿一日永友司左局御承事様都農一宮神主金丸通治兼治病身( 俗ニ云ヨイヨイ病也) 罷有何分血□相続候様無之候ニ付、水町和太郎跡相続仕居候ニ男林吉方此節、双方熟談之上呼戻し、金丸之家血□相続為支度、医師容躰書相添願出候処、…

永友司日記②

永友司日記① - ひょうすんぼ 前回からだいぶ時間が空いてしまいましたが、検討を続けます。 文久二年( 一八六二) p28ーp32一一正月廿三日御冬都農金丸肥前死去。倅和太郎酉ノ年十三才、幼少ニ付、後見之義和太郎親類之者より頼来り御奉行所へも右之趣届差出…

西都市・西米良村歴史民俗資料館

西都市と西米良村の歴史民俗資料館を訪れた。 ①西都市歴史民俗資料館 西都原考古博物館と異なるので注意。古墳のある台地でなく、西都市の市街地に位置している。 西都原考古博物館に比べると規模は劣るが、展示の趣旨は異なるため見に来る価値はあるであろ…

南原繁と折口信夫による神道普遍宗教化の試み⑤

5、終わりに 以上でみてきたように、南原と折口は敗戦との向き合い方や祖先信仰については異なった見解を示したものの、両者はともに戦前から宗教と向き合い続けており、天皇の人間宣言を契機としてキリスト教の影響を受けながら、神道の普遍宗教化という同…

南原繁と折口信夫による神道普遍宗教化の試み④

⑤祖先信仰 祖先信仰について両者は明確な違いを示している。 南原は祖先信仰について明言していないものの、おそらく祖先信仰を切り離すことは考えていなかっと思われる。 「そこに私は、日本の神話なり、歴史を生かす道があると思う。たとえばあの神話にお…

南原繁と折口信夫による神道普遍宗教化の試み③

③キリスト教との関わり 両者ともに普遍宗教であるキリスト教との関わりが、神道の普遍宗教化を展開する背景になったと思われる。 南原は21歳のときに内村鑑三の影響によってキリスト教無教会主義に入信し、以降も信仰を続けている。だからこそ以下のように…

南原繁と折口信夫による神道普遍宗教化の試み②

4、南原と折口の比較 ①戦前の学問的業績 まず両者の戦前の学問的業績に着目したい。 南原は「基督教の「神の国」とプラトンの国家理念-神政政治思想の批判の為に-」(1937年)や「国家と宗教―ヨーロッパ精神史の研究―」(1942年)など、キリスト…

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南原繁と折口信夫による神道普遍宗教化の試み①

1、はじめに 本論では、南原繁と折口信夫が敗戦直後の日本において行った神道普遍宗教化の試みについて比較検討する。 敗戦直後の時期に日本の思想的基軸を模索した人として他に高坂正堯ら京都学派や柳田国男などがあげられる。その中にあって南原、折口の…

永友司日記①

定期更新が途絶えてしまい、申し訳ないです。 可能な限り長く続けられるよう2週に一度の更新を目安にしばらくは続けていきたいと思います。 都農神社のホームページで永友司日記が読めるようになっている。 http://w01.tp1.jp/~sr09697901/tunoookamisaidpa…

定期更新休止

週に一度毎週土曜日更新という形で続けて来ましたが、記事のネタ不足に困っており、しばらく休止したいと思います。 今後は不定期更新という形をとります。夏には都農にいくため8月中にはまとまった内容をかけるかなと思っています。 もし楽しみにしていた…

竜神

都農の明田の浜に竜神様が祀られている。 場所はわかりにくいが、リニアモーターカーの実験線をくぐって海にでて海沿いを北に歩いたところにある。 以前紹介した浦島太郎伝説と関わりがあるようで、浦島太郎がこの地に上陸したことが由来となっているそうで…

塵添壒囊抄 考察

2週に渡って紹介し た塵添壒囊抄の説話はどのような経緯で生まれたのであろうか。 説話から伺われることは、大きく5つある。 ①都農神社成立の権威付け 神功皇后の遠征において勧請されたという形で権威づけをしている。 ②航海の安全というご利益 船の守り…

山の背くらべ

いざ「塵添壒囊抄」を現代語に訳してみると、どこかで見覚えがあるような気がした。気になって柳田国男の著作を漁ってみると、「日本の伝説」という著作にほぼ同じエピソードが載っていた。 「日本の伝説」日本に伝わる伝承や伝説をある程度類型化してまとめ…

塵添壒囊抄 訳

塵添壒囊抄に都農神社についての記述が存在する。度々取り上げてがいるが、訳を作っておきたいと思う。塵添壒囊抄の説明については最期に引用する。古文は苦手なので修正点があれば指摘してください。 原文 日向國古庚郡、常ニハ兒湯郡トカクニ、吐濃ノ峯ト…

民譚

私は民俗学に関心をもっている以上、柳田国男の「遠野物語」や宮本常一「忘れられた日本人」のような民俗説話に関心はもっている。 今までこのブログではそういった民俗説話は扱って来なかった。説話それ自体が個人情報に該当する部分もあり、また私の文体が…

都農の方に聞きたいこと 改訂版その2

以前も同様の記事を作成したのだが、半年以上経って聞きたいことも変化したので、再度改めて作ることにしました。追加した質問は⑥以降になります。 各質問に関連した記事を質問の下にリンクしたので、興味のあるかたは覗いてみてください。 これらの質問以外…

都農と津野④ 問題点

都農の地名の由来ついて漢字と読みの両方から以前考察したが、これには問題点がある。以前考察したときから考えてはいるが結論が出ないので、とりあえず整理しておく。 吐濃(トノ)→都農(トノ)→都農(ツノ)←津野(ツノ) 都農と津野① - ひょうすんぼ 都…

都農参り

江戸時代にたびたびお蔭参りと呼ばれる、伊勢神宮参拝が流行したことはよく知られている。同様の現象は出羽三山など有名な寺社でも発生している。 高鍋藩という狭い範囲ではあるが、都農参りとでも呼ぶべき現象が発生していたようである。 1776年 近年猥…

国司巡視記

809年に編纂されたという「国司巡視記 日向土産巻之」に都農神社についての記述があった。 都農社 諸県郡 祭神 大己貴命日向一ノ宮是也 何ノ時代ニ一ノ宮ト祭ル事ヲ知ラズ 国司巡視記 日向土産巻之 上記記述によれば、都農の祭神は809年には大己貴命で…

尾鈴山系

以前いただいたコメントによって尾鈴山系という観点に気づいた。(詳しくは以下のリンク参照) 呪術信仰という観点 いただいたコメントを中心に考察 - ひょうすんぼ 尾鈴山は尾鈴山系と呼ばれる山系の中で最も高い山である。そのため尾鈴山に対する信仰は何…

民俗学と郷土研究

恐らく郷土研究を行っている人は江戸時代からいたであろうが、流行を見せたのは1930年代に入ってからである。国家主導のもと郷土愛を育み、愛国心を育てるために推し進められた。 そういった地方の郷土史家達の研究をまとめあげたのが、民俗学者の柳田国…

都農の歴史を調べるにあたっての課題

今まで度々触れてきたと思うが、都農の歴史を調べるにあたって大きな壁が存在する。それらについて整理したい。 1、大友宗麟による焼き討ち(1578年) 島津氏に日向を追われた伊東氏を助けるべく日向に入った大友宗麟は狂信的なキリスト教信者であり、…

呪術信仰という観点 いただいたコメントを中心に考察

いろはすさんから尾鈴山についての記事にコメントをいただいたのですが、興味深い内容であったため個別の返信に加えて記事として取り上げたい。 コメントは大歓迎ですので、すこしでも何かコメントしたいことがあればコメントしていただけると幸いです。 尾…

都農の地形

最近ブラタモリなどに代表されるように地形ブームが到来している。(?)私も地形は好きで、城や古墳の建つような見晴らしの良い台地が好きである。今回は都農町の地形について触れたい。 都農町の東部は宮崎平野の北端を占める。しかし平野部は狭く町の6割…

都農の太鼓台

都農の夏祭りといえば太鼓台であるが、その太鼓台の由来についてはわからないことが多い。 www.youtube.com 都農の祭り - ひょうすんぼ 各保存会では江戸末期ないし明治期に瀬戸内や上方から移入したことを言い伝えている。香川県大原野町や豊浜町ではチョウ…

西都原考古博物館 特別展、鹿野田神社

西都原考古博物館の特別展「豊と日向 日出る国の考古学」(18日まで)に行ってきた。 西都原考古博物館は豊日文化圏というものを想定しているようで、今回の展示はそれに則って行われたものだと思われる。豊日文化圏とは現在の大分県と宮崎県が古代におい…

高鍋城(舞鶴城)

高鍋城は高鍋町の中心部である平野に突出した台地の上に立っている。 高鍋藩を治めた秋月氏の居城であるが、もともとは平安時代末期に日向国一帯で権勢を誇った土持氏の居城であり、その後伊東氏、島津氏の所有を経ている。 高鍋の地はもともとは財部と呼ば…