南原繁と折口信夫による神道普遍宗教化の試み④
⑤祖先信仰
祖先信仰について両者は明確な違いを示している。
南原は祖先信仰について明言していないものの、おそらく祖先信仰を切り離すことは考えていなかっと思われる。
「そこに私は、日本の神話なり、歴史を生かす道があると思う。たとえばあの神話においては、われわれの祖先は遠く昔から日本民族の永遠性を信じている。どこの民族もそうでしょうが、ことに神国といっているところに、象徴的な意味がある。」[1]
丸山真男との対談で南原は上記のように述べたあと、以下のように丸山に批判されている。
「神話に普遍的意味を与えるのは非常に難しいところだと思うのです。「神の国」という概念は、やはり先生は、根本にキリスト教的な考え方から考えられますけれども、日本の実際では氏族神になるのですね。ですから、皇室の祖先だし、どこまで遡ってみても祖先神はやはり特殊者にすぎない。特殊者を越えた、普遍者という観念にはならないのですね。」[2]
丸山の批判に対し南原は反論をしていないが、丸山の指摘はもっともである。祖先信仰を切り離さければ、共通の祖先をもたない他民族に通用する普遍的な宗教となることは出来ないであろう。
折口はこのことに気づいていたのかはわからないが、神道から祖先信仰を切り離すことを執拗に主張している。
「われわれはまづ、産霊神を祖先として感ずることを止めなければなりません。宗教の神を、われわれ人間の祖先であるといふ風に考へるのは、神道教を誤謬に導くものです。それからして、宗教と関係の薄い特殊な倫理観をすら導き込むやうになつたのです。だからまづ其最初の難点であるところの、これらの大きな神々をば、われわれの人間系図の中から引き離して、系図以外に独立した宗教上の神として考へるのが、至当だと思ひます。」[3]