日下部氏について
日向国内の歴史について考える際に日下部氏は避けて通れない。
国府が置かれていた西都近辺を支配していたのは日下部氏であるし、都萬神社の神官も日下部氏である。都農神社の神官を務めていた金丸氏も日下部氏の一族と言われており、また戦国時代に日向国北部を支配した土持氏も日下部氏の一族である。
日下部氏は古代においては有力な一族であったようで、但馬や伊豆、甲斐などで国造(国の統治者)を務めている。
ところがその日下部氏については何もわからない。諸説あるが、統一した学説は打ち出されていない。
そこで日下部氏について検証してみようと思う。
815年に編纂された古代氏族の系譜書である新撰姓氏録では、日下部氏の始祖として「火闌降命之後也」との記述と「神饒速日命孫比古由支命之後也」との記述がある。この内容について整理したい。
http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji02.html
①「火闌降命」とは木花咲耶姫が炎の中で産んだ子供の第二子である。西都には「無戸室」と呼ばれる木花咲耶姫が出産した地があるが、この地との関連性が見えてくる。
https://www.saito-kanko.jp/sightseeing/utsumuro
②「饒速日命」は謎多き神ではあるが、このブログで度々述べてきたように日向との関係性が深い。
http://hyousunbo.hatenablog.jp/entry/2017/10/21/000000
③「比古由支命」は開化天皇の子孫とされているが、9世紀に成立したとされる旧事本紀では、「火闌降命」と「比古由支命」は同一説が述べられている。新撰姓氏録で日下部氏の始祖に二種類の記述があったことと整合性がとれる。
以上を整理すると、日下部氏は「火闌降命」=「比古由支命」を始祖とする一族であり、「饒速日命」とも関係性が深いことがわかる。
「火闌降命」は隼人の祖ともされており、また日本書紀では海幸山幸の海幸にあたる人物で海洋系の一族と関係性が深い。
隼人と大和朝廷の勢力圏の境にいた日下部氏が「火闌降命」を始祖と称していること、そして全国各地に一族が散っていることも納得がいく。
日下部氏について整理していくことで、「饒速日命」と日向の関連性も見えてきた。
しかし下記のブログにあるように、日下部氏については大量の情報があり未だ整理しきれていない情報がたくさんある。引き続き整理していきたい。