尾鈴山について
現在の考えについえは右記を参照ください。目次 - ひょうすんぼ
都農といえば何を思い浮かべるだろうか。ワイナリーや都農神社、尾鈴山あたりだろう。最近だとトマトも有名だ。つのぴょんという最近出来た謎のゆるキャラの頭の上に全て乗っかっている。
」
そんな都農の顔とも言える尾鈴山が、山の方を眺めてもイマイチどの山なのかわからない。親や祖父母、町の人に聞いても「あのへんの山」としか言わず、本当にわかっているのか疑問である。
尾鈴山は周辺一帯では一番高い山ではあるのだが、それほど標高が変わらない。数百万年前は火山であったようだが、今ではただの山である。そんな尾鈴山だが、周辺一帯から信仰を集めており、いくつかの神話も伝わっている。
矢研の滝(尾鈴山にある滝)の神話
①神武天皇が東征のとき矢を研いだ。
②ニギハヤヒの命が天磐船に乗って天降りして矢を研いだ。
都農神山の白鳥伝説
安康天皇が即位後三年に、品鳥忌寸に命じて日向国都農神山(尾鈴山)に狩をさせ、白鳥を得た。その鳥には翼があったが、その場にいた従者たちは血を吐いて死亡するものが、万を数えるほどであった。そのことがあって、ついに、その年の8月9日に安康天皇は眉輪王によって殺されることになった。(類聚国史)
これは何故であろうか。
いくつか理由をあげることが出来る。一つには周辺で一番高い山であることだろう。また矢研の滝を筆頭に尾鈴山瀑布群と呼ばれる滝が存在していたこともあげられる。中世では修験道の修行の地としても利用されていたようだ。他には町の西側にあることから天気予報の参考にされたということも考えられる。実際に漁師が尾鈴山を見て天気を判断したという伝承が残っており、また雨乞いの対象にもなっている。
考えが変わったため以下の記述は無視していただきたいです。後日新しく記事を書きます。
しかし最大の理由は三輪氏の山岳信仰にあるのではないか。前回の記事で三輪氏が都農に移住してきたことを述べたが、三輪氏が山岳信仰という文化を当地に持ちこみ、尾鈴山に三輪山を比定したと考えられる。
実際に尾鈴神社の祭神はニギハヤヒ(物部の祖)であり、畿内の勢力の影響が見られる。またニギハヤヒは大神神社の祭神であるオオモノヌシと同一であるという説も存在している。
ただ私自身尾鈴山に登ったことがなく、尾鈴神社に参拝したこともない。そのためこの記事は現時点での仮説をまとめたメモのようなものである。8月中には尾鈴山に登ろうと思っているので、その後記事を改めたい。