ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

尾鈴山について 再考③尾鈴山と饒速日命

 再考①で尾鈴山で祭られている神と都農神社で祭られている神は同一だと記したが、この説には大きな欠陥がある。都農神社の祭神は大己貴命であるが、尾鈴山を祭る尾鈴神社、細神社は共に饒速日命を祭神としているのである。再考③では何故尾鈴山で饒速日命が祭られているのかについて考えていきたい。

 

 まず饒速日命について説明する。饒速日命神武天皇より天から降り、ヤマトの地にいたとされている。神武天皇の東征に対して抵抗して撃退さえもした長髄彦を殺害し、神武天皇に降った神である。物部氏の祖先ともされている。

 そもそもこの饒速日命というのがよくわからないので、巷には饒速日命関連の考察や本が多く出回っている。その中には饒速日命大己貴命を同一視するものもあり、その説によれば尾鈴山と都農神社の祭神が実質同じとなるのだが、あまり支持を受けていない説のようなので、別の神として考える。

 興味のある方は「古代日本正史―記紀以前の資料による」(原田 常治)を参照してください。(何故かリンクが貼れませんでした。)

 

 以下で関連資料を検討していく。

 考えますとき、饒速日命を尾鈴神社の祭神としたのは、日向国風土記日向国」にあって、

 「この山のある所を、速日の峰と言う。昔、大神の御瓊々杵命の兄の饒速日命がこの山の峰に御降臨されたので、速日という」。

また、都農郷「神あり。都農社と号す、饒速日命を祭る所也」。

 以上のような説によるものでありますが、なお、明治十五年の尾鈴神社由緒事項調書に「尾鈴山は年代によって名が変つており、最も古い書によると。日向○○「二字不明」、早日の峰は、櫛玉饒速日命を祭るとあります」。尾鈴山の古い名が、早日の峰、「速日の峰」であると言うことを考えても、その最もであることが推察されるでしょう。

(「日向国都農町史」,都農町教育委員会, 1955年)

 

 都農社は恐らく都農神社のことだろう。日向国風土記の記述が正しいのであれば、古代の都農神社では饒速日命を祀っていたということになる。しかし日向国風土記逸文には、その記述を確認することが出来ず。ここでいう風土記とは何なのか疑問が持たれる。

 ただし明治十五年の尾鈴神社由緒事項調書は興味深い。※江戸時代の祭神はスサノオでした。

 速日の峰については聞いたことが無く、他の資料でも速日の峰という呼称は見かけていが、そう呼ばれていた可能性も否定しきれない。

 

 文字資料からは理由がわからないので、他の部分から考える。 

 神社の信仰の起源としてよくあるパターンが移住者や移動する者の影響を受けたものである。

 下記のリンクを見ると宮崎県内で饒速日命を祭る神社は山間部に多い。以前紹介した早日渡神社もそうである。山間部を行き来する修験者によって信仰が持ち込まれたのではないか。

物部氏ゆかりの神社-西日本 http://kamnavi.jp/mn/monomapnisi.htm

 残酷過ぎて伝承としては明らかに異質な白鳥伝説も同時に伝えられたのであろう。

 安康天皇が即位後三年に、品鳥忌寸に命じて日向国都農神山(尾鈴山)に狩をさせ、白鳥を得た。その鳥には翼があったが、その場にいた従者たちは血を吐いて死亡するものが、万を数えるほどであった。そのことがあって、ついに、その年の8月9日に安康天皇は眉輪王によって殺されることになった。(類聚国史

 

 ただしこれも仮説である。そもそも饒速日命という神の実情がわからない限りどうしようもない。

 

 参考にいくらか説を載せておく。

 以前も紹介した西都原考古博物館の館長を務めた日高正晴は「古代日向の国」において、物部氏の起源を大分県の直入県に求めている。そして大分宮崎を豊日文化圏を捉え、都農で饒速日命が祭られているのも当然としている。

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 また民俗学者谷川健一は白鳥伝説と物部氏を結びつけ、蝦夷なども絡めて壮大な議論を展開しているが、あまりにも壮大すぎるので紹介にとどめておく。

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