ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

椎葉村(追記あり)

 椎葉は都農の人からみても田舎というイメージがあり、勝手に魔境のようなイメージを持っていた。実際日本三大秘境にも選ばれているようだ。祖母が材木を見に行ったことがあるぐらいで、周囲に行ったことがある人もあまりいなかった。しかし民俗学の聖地とも呼べる地であるので、行ってみることにした。

 

 あまり写真をとっていないので、写真については椎葉村のホームページをご覧いただきたい。

椎葉村観光協会

 

 都農からは耳川沿いの道を上り、2時間ほどで着いた。柳田国男が通ったのと同じ道だ。崖沿いの狭い道で、対向車とすれ違う際はバックして広い道スペースまで戻ることを強いられるなど、ペーパードライバーの私にとってはかなりきつい運転であった。

 

 まずは十根川地区に行った。十根川神社の中に八村杉という国内2位の高さを誇る立派なスギがあり、圧倒された。境内に生えている木も他の神社であれば御神木として祀られそうな大きさであったが、その中でも群を抜いて大きい。

 十根川地区は急な斜面に石垣で作られた家が立ち並んでいる。実際に歩いてみたのだが、斜面も急で、道も入り組んでいて、なかなか上までたどり着くことが出来なかった。十根川地区の上のほうからは八村杉を見下ろすことが出来る。途中地区の方とお話ししたのだが、なまりがきつく宮崎弁に慣れている私でも聴きとるのに苦労した。

 十根川地区の奥には大久保ヒノキと呼ばれる木がある。枝が複雑に生えていて、不思議な魅力を感じた。

 

 椎葉の中心部へと移動した。十根川地区からは車で15分ほどである。中心地区といえどその規模は小さい。

 平家の末裔である鶴富姫と源氏の那須大八郎の悲恋伝説の舞台と伝えられる鶴富屋敷に向かった。約300年前に建てられたそうだ。隣には鶴富姫の墓もある。

 直ぐ側には厳島神社がある。椎葉は平家の落人の地とされており、そのため厳島神社が山中に建っているのである。

 平家の落人伝説は全国各地に見られるものであり、この地の落人伝説の真偽のほどは不明である。ただこれほどの山奥まで追討の兵が来たとも思えないので、鶴富姫の伝説は創作であろう。この地の平家の落人伝説について柳田国男だか宮本常一が何かしら叙述していたような気がするが、忘れてしまった。貧しい地域で暮らす中で誇りを持とうとしたのであろうか。イザベラ・バードの日本奥地紀行にも記述があったのだが、日本の平野部や盆地は豊かなのだが、山間部は一点して貧しかったようである。

 厳島神社の側には椎葉民俗芸能博物館がある。民俗的な資料や柳田国男についての展示がなされている。なかでも興味深かったのは焼き畑についての展示である。椎葉は日本で唯一焼き畑が行われる地である。椎葉は平地面積が少なく田んぼはほとんどない。展示にあった動画では山の急斜面で焼き畑が行われていたが、恐ろしく収穫効率が悪そうである。都農でも焼き畑は行われていたようで、江戸末期の焼き畑地の面積は田や畑と変わらない。昭和の中ごろまでは行われていたが、現在では全く行われていない、

 博物館の受付で聞いた話しによると、民俗学の調査で滞在している人も何人かいるらしい。また公共の交通機関を用いて来る学生も多いそうだ。昭和女子大が合宿で毎年やってくるらしい。

 

 中心地区から車ですぐのところに椎葉ダムがある。随分と大きなダムで、車でダム橋を走ることが出来た。

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 帰りは西米良方向の道で帰ったのだが、行きよりも更に道が悪かった。写真は峠から椎葉方向を撮影した写真である。

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 椎葉は想像よりも遥かに山奥の村で、周辺の市町村の中心部まで車で一時間はかかる。その上雨の日や季節によっては塞がる道は多い。また平地が極めて少なく、斜面に家が立ち並んでいる様には驚いた。是非また一度訪れてみたい。

 

 

 追記

 平家の落人伝説について柳田国男は辛辣なことを述べている。

 

 彼ら(平家の落人伝説を語る人々)はただ割拠没交渉の一手段のみによって、辛うじて家の誇りを保って居る。(中略)君の村、君の家の伝説は確かに古い。(中略)ただそれは元は単に最も貴い御方、もしくは神に近い御方と其家来たちと言って居たのを、後になってそれは養和のみかど、平家の一門より他には無いと、新たな日本歴史の知識によって決定したのでは無いか。

 (柳田国男全集 13巻 筑摩書房 1998年 p235 『木思石語』 平家の落人という人々へ)

 

 

 

西都について

 都農町について紹介するブログであるはずなのに、記事のネタ不足を心配してここのところ宮崎の観光案内ばかり書いている気がする。

 

 ①西都原古墳群

 宮崎には多くの古墳群があり、都農にもあるのだが、西都原古墳群はその中でも最大の規模を誇る。またコノハナサクヤの神話の地でもある。

 古墳群は今では原っぱのようになっていて、春には写真のように満開の菜の花が広がる。この写真の中央にあるのが鬼の窟古墳で、中に入ることも出来る。

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 古墳のはずれに古代生活体験館があり、そこでは勾玉や土偶などを作ることが出来る。子供のころはここが大好きで、何十回も来た。勾玉なぞ何個作ったかわからない。

 

 古代生活体験館の側には博物館がある。私が小学生のころに出来たのでまだ新しい。久しぶりに展示を見てみたのだが、挑戦的な展示内容で驚いた。ヤマト王権に相対する非稲作文化圏が展示の内容の中心であり、網野善彦の本にあるような類の、通説とは少し外れてはいるものの興味深く、傾聴すべきものであった。子供のころには全く理解出来ていなかったと思うが、無料でありかつ人を惹きつけるような展示なので良く来ていた。

 

 ②都萬神社

 西都の市街地にある。西都原古墳群からも近い。現在の西都の中心部である妻地域には日向国府や国分寺がおかれており、西都は古代日向の中心地であった。都萬神社は日向国の二宮にあたる。平安時代には一宮である都農神社と勢力争いをしていたようだ。(都萬神社が優勢であった。)

 かつて栄えた都萬神社であったが、今では境内も寂しく、参拝客も都農神社に比べればずっと少ない。それでもクスの木など見どころは多く満足出来た。

 西都原古墳群には多くの観光客がいるので、案内があればここにも人は来るだろうにと思う。

 

 ③速川神社

 西都の中心部から米良方面へ行く道を車で20分ほど行った場所にある。余談だが、以前は西都まで電車が通っていた。30年ほど前に廃止された後も復活を望んで線路跡はそのままにされており、この神社へ向かう道沿いにあるサイクリングロードとなっている。都会に住んでいると中々気づかない鉄道というインフラの重要性に気付かされる。

 さて速川神社についてであるが、駐車場から20分ほど歩いた場所に鎮座している。一ツ瀬川を渡り(以前は吊橋であったが今は沈下橋となっている)、山道を少し登る。途中で鹿を見ることが出来た。

 立地は悪いものの地域の人からの信仰を集めているからか、何人か参拝者とすれ違った。喧騒から離れて、自然と交わる神社らしい空気を感じることが出来た。

 

 

 

 

 

 

 

高城

 今回紹介するのは木城町にある高城についてです。木城の名前は椎木村と高城村が合併したことによって生まれている。

 

 高城は木城町の中心部にある。都農から西都に出るときは常に通るので、城の下を何度も通っていたのだが、城山公園の入り口が鬱蒼とした茂みになっていたこともあり、行ったことはなかった。

 

 高城は日向国の中心である現在の西都市に向かう道上に位置する要衝の地で、付近では大きな合戦が二度あった。

 一つは耳川の戦いである。最近は小丸川の合戦や高城川の合戦と呼ばれたりもする。大友氏と島津氏との合戦が行われた戦いで、島津氏お得意の釣り野伏により大友軍が大敗した。

 もう一つは根白坂の戦いである。秀吉の九州征伐軍と島津軍との戦いで、島津軍が攻めきれず敗北し、この敗戦を受けて島津氏は秀吉に降伏した。

 このように大きな戦いの舞台になっているにもかかわらず、その知名度は低く、残念である。

 

 高城は台地の上に立っているが、それほど高い台地ではなくすぐに登ることが出来た。舌状の台地になっているため三方を崖に囲まれている。、残りの一方には何十にも堀が設けられていたようで、現在でもその遺構を確認出来る。

 城の跡地は公園になっているが、誰もいない。申し訳程度に櫓を模した時計台が建っており、上に登ると木城の中心部が一望出来た。

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 高城を降りてすぐのところにある切原川沿いの原っぱに耳川の戦い跡地がある。今は何もないが、私は戦国時代好きでもあるので、布陣を想像して楽しむことが出来た。

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 西都市方面へ4、5キロほどの丘に根白坂の戦い跡地がある。ここも今は畑となってしまって何もない。

 

 

  

宮崎の神社

 宮崎市内にある神社について紹介したい。

 

 ①江田神社

 シーガイアの近くにある神社だ。シーガイアには子供のころ何度も連れていってもらったが、この神社には行ったことはない。もっとも中学にあがったぐらいにはシーガイアのプールがなくなってしまったので、記憶に残っていないだけなのかもしれないが。 

 駐車場の側にボランティアガイドの方がいたので、案内して頂いた。江原啓之にパワースポットとして紹介されたとかで2、3年前は人が多かったそうだ。社殿は大きくはないが厳かな感じがした。

 社殿の左手にある道を抜けてみそぎ池へと向かう。みそぎ池へは徒歩7、8分ほどでついた。このみそぎ池は黄泉の国から帰ってきたイザナギがみそぎしたことで知られる。今はなんてことのない普通の池だが、常に水が澄んでいるらしい。

 今は人も少なく知名度は低いが、古来からの格式は高くアクセスも良いので是非一度。

 

 ②宮崎神宮

 宮崎市の市街地にあり、宮崎県を代表する神社だ。だがここも同じく行ったことがなかった。一宮は都農神社なんだから行く必要がないと言って祖父に何故か止められていた。実際現在のように宮崎県の中心的な神社となったのは明治以降なようだ。

 境内は広いが、手入れも行き届いている。社殿も新しく立派だ。

 

 ③住吉神社

 フェニックス動物園のすぐそばにある。ここの動物園やプールには何度か行ったことがあったが、神社には行ったことがなかった。

 住吉三神が生まれた地として古来から信仰を集めていたようだ。現在は町にある普通の神社と変わらないように見えるが、どことなく神聖な空気を感じた。

 

 ※宮崎県総合博物館

 宮崎神宮と同じ敷地にある。ただ歩くとそこそこ距離があるので、車で回ったほうがいいかもしれない。

 恐竜展が開催されていたからか子供が多かった。2階に歴史・民俗展示がある。県全域の歴史をまんべんなく紹介している。古さは否めないが、無料で入れるので十分満足出来た。

 また博物館の裏側には民家園があり、江戸末期から明治初期の家屋が移築されている。中に入ってみることも出来、面白い。

 

 

 

都農神社

  都農神社は日向国の一宮であり、祭神は大己貴命オオクニヌシ)です。祭神についてはいろいろ思うところがあるのだが、ここではおいておく。病気平癒などのご利益があるようだが、地域信仰が主である。

 場所は都農駅から徒歩20分ほどで、町の中心部から近く、新しく出来たばかりの「道の駅 つの」から行くことも出来るようになっている。表参道は都農の商店街を抜けた先にある。

 鳥居の前には明治4年に国幣社に指定された時の碑が立っている。鳥居をくぐるとスギ並木の参道が続く。明治初期の頃の版画には桜の絵が書かれており、以前は桜が植わっていたようだ。昭和初期のころにスギを植えたらしく、いつの間にやら大きな木になったと祖父が言っていた。

 参道の右手には池がある。今は何もいないが、以前は白鳥がいた。また以前は小さな動物園のようなものがあり、猿などがいたそうだ。猿といえば馬の守護神として厩のそ側で飼われることが多かった。都農は古来馬の産地であったが、話を聞く限りあまり関係なさそうだ。他にも私が子供のころはプールがあり、何度か行った記憶もあるが、今はなくなってしまった。

 参道をしばらく歩くと右手に橋が見え、この橋を渡って社殿へと向かう。橋をわたってすぐ左手には社務所がある。

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 御本殿は数年前に改修したばかりで綺麗だ。両脇には末社摂社がある。また御本殿の手前には「撫でうさぎ」や「撫で大国」などがあるが、以前はなかった気がする...

左側には庭園と池があり、奥には滝もある。中学生の頃の宿題でこの庭園の絵を描いたのだが、あまりにも下手くそ過ぎて親に描き直された記憶がある。御本殿の奥は神社の神域となっている小高い丘となっている。

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 思い出やらなんやらとともに淡々と紹介しただけで、あまり魅力を伝えられなかったと思うのだが、良い神社なので是非一度訪れてみてください。

日向国一之宮都農神社公式ホームページ

霧島の諸神社

 今回は宮崎の観光案内のような記事となる。写真を撮る習慣がなく、写真がないので記事を書くときに困った。これからはこまめに写真を撮るようにしようと思う。

 

 ①霧島神宮鹿児島県

 霧島の神社の中でもっとも有名であろう。記憶にはないが、私も幼いころに訪れたことがあるらしい。

 工事したばかりのようで境内は綺麗に整備されていた。温泉街が近く、空港からのアクセスが良いこともあり観光客も多い。御神木となっているスギの木は樹齢800年と言われるだけあり、立派であった。

 

 ②東霧島神社都城市

 「東」とかいて「つま」と呼ぶらしい。祖父が以前道に迷って行ったことがあるらしく、しきりに勧めていたので行って見ることにした。

 龍神信仰が盛んな神社で、社殿や参道は古いがその分神さびた空気感があった。龍のように見える枝のある木や、十拳剣で切られたと云われる石など見どころが多く、ぜひまた訪れたいと思う神社であった。

 みやざきの神話と伝承101:「十握剣」と神石

 

 ③霧島東神社(高原町

 上の神社と名前が紛らわしいが、上の神社から車で30分ほどの所にある。

 神社からは御池と呼ばれる大きな湖を見渡すことが出来る。また坂本竜馬が新婚旅行で訪れたことで有名な高千穂の峰へもここから登る。

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 ④霧島岑神社(小林市)

 延喜式などに出てくる日向国の神社はこの神社であり、都萬神社や江田神社などと同程度の格を有していた。しかし現在では寂れていて、参拝客も少ないようだ。

 この左右非対称の社殿は気になったが、神職の方が不在で伺うことは出来なかった。

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 ※番外編 関之尾の滝(都城市

 日本の滝百選に選ばれた滝である。吊橋から滝を眺める事ができ、滝の上側にも回ることが出来る。

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尾鈴山と矢研の滝

 前回の更新から随分時間が空いてしまった。

 昨日尾鈴山に登ってきた。以前記事にも書いたが、尾鈴山は都農の顔とも言える山で、地域からの信仰も厚い。しかし尾鈴山は迷うと祖父が言っていたのもあって(それが迷信の類なのかは今となってはわからない)、登ったことはなかった。そこで天気も良く、時間も空いていた昨日登ることにした。

 都農の中心部から車で名貫川沿いを走り、30分ほどで尾鈴山キャンプ場についた。キャンプ場に尾鈴大山神と書かれた社があった。尾鈴山を祀っているというよりは、写真の奥に写っているモミの巨木を祀っているようであった。

 

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 キャンプ場から歩いて40分ほどで登山口入り口についた。ここまでの道は舗装されていて歩きやすく、いくつかの滝を見ることが出来た。

 登山口からはひたすら急な山道で少しきつい。山道には滝はなく、見晴らしもあまりよくなかった。ところどころ道がわかりにくくなっていたが、テープやロープでわかりやすいようにしてあったので迷うことはなかった。

 9.5合目あたりに見晴らしが良い地点があり、都農や川南の町並みを眺めることが出来る。日向市の方も見えるようだが、あいにく雲が被さっていて見ることが出来なかった。

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 山頂の直前には尾鈴神社があった。鳥居の上に石がおいてあるが、鳥居の上に石を置く(投げる)と願いが叶うという言い伝えによるものだろう。こういったものは全国各地で見られる。

 尾鈴神社の現在の祠は維新後に建てられたようで、左側ににある石碑には「東臼杵郡」と書かれていた。旧東臼杵郡は宮崎県北部の地域で都農町は含まれていない。恐らく隣接する現日向市(東臼杵郡)の人が建てたのであろう。

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 尾鈴神社からはすぐ山頂についた。登山口から一は時間半ほどだ。山頂付近は開けているが見晴らしはあまり良くない。祖母の友人の話によると以前は展望台があり、その展望台を作るためのトロッコが山頂まで通じていたという。随分昔の話であろう。

 登った感想を正直に述べると至って普通の山であり、そこまで魅力を感じなかった。ただやはり滝の数は多く、滝と三輪氏の関係で信仰を集めたのであろうと思う。

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 予定より早く下山出来たので、矢研の滝に行くことにした。矢研の滝には小さいころに行ったことがあるが、滝の記憶が全くないのでもう一度行って見たかった。

 キャンプ場から20分ほどで矢研の滝についた。道もほぼ平坦で歩きやすく途中には多くの滝があった。

 落差73mの滝で迫力があった。日本の滝百選に選ばれているだけのことはある。以前は滝の近くまでいけたようだが、今は行けないようになっていた。

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 矢研の滝の上流200mほどの場所にニギハヤヒが乗ってきたと云われる磐船があるらしいのだが、通行止めとなっており行くことが出来なかった。今度機会があれば行ってみたい。

 

尾鈴山登山