ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

高城

 今回紹介するのは木城町にある高城についてです。木城の名前は椎木村と高城村が合併したことによって生まれている。

 

 高城は木城町の中心部にある。都農から西都に出るときは常に通るので、城の下を何度も通っていたのだが、城山公園の入り口が鬱蒼とした茂みになっていたこともあり、行ったことはなかった。

 

 高城は日向国の中心である現在の西都市に向かう道上に位置する要衝の地で、付近では大きな合戦が二度あった。

 一つは耳川の戦いである。最近は小丸川の合戦や高城川の合戦と呼ばれたりもする。大友氏と島津氏との合戦が行われた戦いで、島津氏お得意の釣り野伏により大友軍が大敗した。

 もう一つは根白坂の戦いである。秀吉の九州征伐軍と島津軍との戦いで、島津軍が攻めきれず敗北し、この敗戦を受けて島津氏は秀吉に降伏した。

 このように大きな戦いの舞台になっているにもかかわらず、その知名度は低く、残念である。

 

 高城は台地の上に立っているが、それほど高い台地ではなくすぐに登ることが出来た。舌状の台地になっているため三方を崖に囲まれている。、残りの一方には何十にも堀が設けられていたようで、現在でもその遺構を確認出来る。

 城の跡地は公園になっているが、誰もいない。申し訳程度に櫓を模した時計台が建っており、上に登ると木城の中心部が一望出来た。

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 高城を降りてすぐのところにある切原川沿いの原っぱに耳川の戦い跡地がある。今は何もないが、私は戦国時代好きでもあるので、布陣を想像して楽しむことが出来た。

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 西都市方面へ4、5キロほどの丘に根白坂の戦い跡地がある。ここも今は畑となってしまって何もない。