尾鈴山について 再考⑤-1 尾鈴神社と廃仏毀釈
尾鈴山の祭神については再考を書いたばかりである。それから一ヶ月もしないうちに追加で色々述べるのは少し気が引けるが、また尾鈴山の祭神について考えたい。
1952年に開始された宗教法人の登記によれば尾鈴神社の祭神は饒速日命となっている。合祀された神としては素盞嗚命と菅原道真が挙げられている。現在まで祭神についての変化はない。
ところが江戸時代の祭神は饒速日命ではなかったようである。
貞享寺社帳(1687年)「津野権現 本地正観音」※
天保寺社帳(1830~44年)「尾鈴大明神神体素盞嗚命」
※権現
仏・菩薩が衆生を救うために、日本の神に姿をかえて、この世に現れること。また、その現れた神。本地垂迹の説から出たもので、熊野三所権現・山王権現・春日権現などの類。(例文 仏教語大辞典)
この場合においては津野権現は観音様の仮のお姿という意味
都農権現や尾鈴大明神といった地域の守り神を祭っていることはともかくとして、饒速日命ではなく素盞嗚命と明記されていることが注目される。
1800年代中頃から1952年までのどこかで祭神の変化が起きたと思われる。どの期に変化が起きたかは不明であるが、おそらく明治維新後の廃仏毀釈の際に祭神の変化が起きたと思われる。
尾鈴神社を訪れました。