ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農と津野③※補足

 都農と津野は都農神社の棟札にも現れる。これをどう解釈すればよいのかが問題となるため補足を加えたい。

 

1617年 都農神社の棟札の写し「奉再興津野大明神社壇一宇

1686年 貞享寺社帳「都農神社 都農大明神」 

1736年 都農神社の棟札「奉造立都農大明神御宮一宇

   1617年から1686年の間に津野大明神から都農大明神へと呼称が変化しているようにもみえる。しかし津野大明神も都農大明神も名称からして地域の信仰の対象であり、津野村の中にある都農町の中に都農神社があることを考えると、都農神社が津野大明神と都農大明神の両者を祭神としていもおかしくはない。したがって祭神が変化したわけではなく、共存していたと考えるべきであろう。

 

※明神

 神号あるいは神の尊称。官幣・国幣の社のなかで、その祭祀が古くかつ由緒ある神を特に名神と称したが、この名神と明神を同義とする説もあるけれども、その名称の由来は異なり、名神は社を指し、明神は神を指すとみなす説もある。『延喜式』以前にも明神を用いた例はかなりあり、本来の用法にあっては、名神すなわち明神ではなかった。しかし名神と明神の区別は次第にあいまいとなり、中世以後になると、名神の称は使われなくなって、明神を用いる例が増加した。そして明神を尊んで特に大明神と称する用法がひろまった。(国史大辞典)

 

 最後にまとめると

 吐濃(トノ)→都農(トノ)→都農(ツノ)←津野(ツノ)