川南・西都の神社
1、平田神社(川南)
川南の中心部からほど近い地にある。祭神はヤマトタケルノミコト。
ヤマトタケルノミコトの熊襲征伐の際にこの地に宮が置かれたことが神社の由来となっているそうだが、都農神社と同様に大友宗麟の焼き討ちにあっているため、戦国時代以前のことはわからない。
神社に置かれている記帳を見ると毎日地域の方が訪れているようで、地域の方の信仰は厚いのであろう。またホームページも作り込まれていて驚いた。
【平田(へいだ)神社】宮崎県児湯郡川南町(こゆぐんかわみなみちょう)の神社
2、三宅神社(西都)
西都原古墳群のある台地上、日向国分寺跡付近に位置する。祭神はニニギノミコト。
かつて西都農神社とよばれていたという記述を本で見たので、今回訪れた。
市街地からはやや外れているが、地域の人たちの信仰は厚いようで、社殿と境内は綺麗であった。
三宅という名前から考えるに、屯倉(ヤマト政権の直轄地)の拠点があったのであろう。西都農神社と呼ばれていたのも「西/都農」ではなく、「西都/農」から来たのではないかと思われる。
県北の山体信仰
都農の名所の一つに尾鈴山が挙げられ、その信仰も厚い。尾鈴山の関連で今回は県北の山体信仰を取りあげる。
1、速日の峰
早日渡神社において祭られている。
速日の峰は饒速日が降臨した地として伝えられており、その意味で尾鈴山との関連性を見出すことも出来る。
早日渡神社は延岡市の旧北方町にある。九州中央自動車道を降りてすぐにある道の駅北方よっちみよろ屋から、徒歩5分ほどで行ける。
2、二上山
二上神社と三ヶ所神社において祭られている。標高1000mほどの山である。天孫降臨の地として伝わる。信仰は奈良時代以前からあったようだ。天孫降臨の地であるにもかかわらず、ニニギノミコトではなくイザナギノミコト、イザナミノミコトが祭られている点は興味深い。
二上神社は高千穂町に鎮座している。高千穂から五ヶ瀬へ抜ける旧道から途中で脇道に入るとたどり着く集落を見下ろす位置に建つ。高千穂町側からの二上山信仰の地である。
二上神社 | 観光スポット | 高千穂町観光協会 | 宮崎県 高千穂の観光・宿泊・イベント情報
三ヶ所神社は五ヶ瀬町の中心部付近に鎮座している。
社殿に海馬の彫刻があることから、脳の活性化についての信仰も盛んなようである。
二上山の9合目に奥宮もあるそうだが、今回は訪れていない。
美々津観光
美々津は都農から近いこともあって、よく通るのだが、町中を訪れたのは子供のころ以来だった。子供のころは祖父が仕事のついでによく美々津まで連れていってくれた。
美々津は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、江戸・明治ごろの趣ある街並みが残されている。写真を撮ればよかっただが、写真では伝わりにくいと思い撮っていない。
1、日向市歴史民族資料館
美々津の街並みの中央に位置し、廻船問屋を復元した資料館である。平日の午前中という時間だったからか、他に人はおらず、家の造りや、街並み、町の歴史などを細かく解説していただいた。
耳川の河口にある美々津の町は椎葉から切り出した材木が集積される地であり、江戸、明治と廻船で栄えたそうだ。しかし大正に入り鉄道が開通すると陸運が中心となり、徐々に廃れていったそうである。50年ほど前に日向市と合併したのだが(その際に都農との合併の話もでた)、元は児湯郡であった。そのため合併前の時代を知っている人は児湯郡への愛着を持っているようで、児湯郡への愛着と美々津への誇りを語ってくださる方もいた。
2、立磐神社
美々津は神武天皇のお船出の地として有名で、立磐神社では神武天皇が腰掛けたとされる岩が御神体となっている。
鳥居付近には波の形を象った日本海軍発祥之地碑がある。
廻船問屋が盛んな地であったからか航海の安全の神である住吉三神も祀られている。
神武天皇東征の神話について詳しくは以下のリンクを参照。
3、八坂神社
美々津の街並みの端にある。神武天皇がお船出のまでの間仮の住まいとされていたとされる地を祭った神社。
みやざき観光情報 旬ナビ/日向市美々津重要伝統的建造物群保存地区
現状5日毎に更新としていましたが、書くことも徐々になくなりつつあるので、週に一度とします。すみません。
つのぴょんと行く!都農町探検
日向(市)観光
①馬ヶ背・クルスの海
以下の写真の切り立った崖の部分が有名。(この写真の部分が馬ヶ背ではなく、岬の突端部分が馬ヶ背と呼ばれている。)
岬の突端まで歩いていくことが出来る。三方を海に囲まれているため、晴れた日は見晴らしも良く、気持ちが良い。
馬ヶ背から車で2、3分のところにクルスの海と呼ばれる場所がある。
写真だと少しわかりづらいのだが、岩によって区切られた海が「叶」という文字に見えることから、願いが叶うと言われている。
②伊勢ケ浜、お倉ヶ浜、金ヶ浜
日向に来る時は大抵イオンか海だったので、私にとって日向は海の印象が強い。都農には上級者のサーファー向けのスポットはあるが、海水浴用の浜はない。また高鍋には整備された海水浴場があるが、テトラポットの内側にあるため、大きくなると物足りなくなってくる。そのため日向まで来ていた。
1.伊勢ケ浜
伊勢ケ浜は一番波が弱く、幼いころに良く行っていた。そのためあまり記憶には残っていないのだが、サメが出て行っても泳げないことが度々あったことを覚えている。
先の馬ヶ背とも近い。
2.お倉ヶ浜
小学校の中学年ぐらいからはこちらのお倉ヶ浜に来るようになった。今でも夏には行っている。お倉ヶ浜はやや波が高く、海水浴だけでなくサーフィンやボディボードを楽しめる。
ここの浜はサーフスポットとして有名で、車のナンバーを見ると県内外から多くの人が来ている。
3.金ヶ浜
かなり波が高く、海水浴場はない。サーファー向けの浜になっている。
先のお倉ヶ浜との関連で伝承が残されている。以下のリンク先では蛤が取れる取れない理由を説明する伝承となっているが、私が親から聞いたのは波の高低の理由を説明する伝承であった。どちらにせよ柳田国男の「日本伝説名彙」に載っていそうな典型的なお話しだ。
延岡の諸神社
1.三輪神社
三輪氏の痕跡が見られる地ということで行ってみた。五ヶ瀬川沿いに延岡市街地から登っていき、ちょうど高速の下のあたりにある。祭神は三輪系ということで大己貴命である。
神社そのものは地域にある普通の神社という感じがしたが、この地は下三輪という地名であり、地名からして三輪氏の痕跡が感じられる。
神社の前にあった碑によれば養老2年(718年)にすぐ裏手の山のほうにある青谷城から移転して来たという。ということは718年より前から三輪氏の勢力がこの地にあったということになる。興味深い。
宮巡 ~神主さんが作る宮崎県の神社紹介サイト~ - 三輪神社(みわじんじゃ)
2.神さん山(祝子川)
延岡市内ではあるがかなり外れており、祝子川温泉のすぐ近くにある。祝子川は「ほうり」と読むのだが、ホオリノミコトの産湯にこの川の水を使ったことからこのような地名がついたという。
洞穴遺跡とも言うらしく、その看板を目印に階段を登っていく。巨石信仰のようで、写真の二つの巨大な岩が御神体となっている。この二つの岩の間では縄文時代に人が暮らしていた痕跡があるらしい。
わけあって延岡 | 美人の神が産湯として使った聖流 「祝子川」が流れる渓谷
西都について その2
1.石貫神社
西都の市街地から米良方面に少しはずれた地にある。この周辺には神話の伝承地が密集している。地区名が三宅となっているのだが、ヤマト政権の直轄地であった屯倉がその由来だと思われる。このことがその密集と関係しているのだろうか。
石貫の石は神社の入り口近くにあり、さほど大きくなかったため見逃してしまった。
コノハナサクヤヒメの父の山の神オオヤマツミノカミを祀っています。鬼と「一晩で岩屋を完成させれば娘を嫁にやる」と約束したオオヤマツミが、鬼が完成させた岩屋から1枚抜き取って投げた石が落ちた場所と伝えられています。参道入口にはそのときの物とされる石が据えられています。
伝承地詳細47 石貫神社 西都市|100の伝承地|ひむか神話街道
2.児湯の池
児湯の地の由来となった池。普通の池に見えるが、泥水しかわかなかった西都で唯一真水が湧き続けた池だという。
炎の中で生まれたホデリノミコト(海幸彦)、ホスセリノミコト、ホオリノミコト(山幸彦)の3神の産湯に使われたところと伝えられています。
また、この池の名が古代日向の国の児湯郡の地名の由来にもなったといわれています。
伝承地詳細39 児湯の池 西都市|100の伝承地|ひむか神話街道
3.無戸の室
コノハナサクヤヒメの産屋の跡。今は大木と石碑のみがある。
コノハナサクヤヒメが出産のために造った産屋(うぶや)の跡と伝えられています。たった一夜で子を身ごもったことをニニギノミコトから疑われたコノハナサクヤヒメは、身の潔白を証明するため、戸の無い産屋に入り、燃えさかる炎の中で3人の皇子を生んだといわれています。