ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

南原繁と折口信夫 その四

 一応柳田の祖霊信仰(固有信仰)が神道の普遍宗教化につながる可能性について考えてみる。祖霊信仰はその名が表すとおり、祖先信仰が根底にあり、丸山の南原に対する批判がそのまま当てはまる。柳田の祖霊信仰においては氏族的な性格は弱められているという反論があるかもしれないが、日本的な習俗が背景にあるわけで普遍宗教とは言い難い。またそもそも柳田は祖霊信仰の普遍宗教化を企図していないだろう。

 ここまでみてきたことを踏まえると神道の普遍宗教化は難しいように感じますが、その三で指摘したように柄谷の批判にはやや的外れなところがあります。そう考えると折口の志向した祖先信仰を脱却した形での神道の普遍宗教化は可能性がないわけではありません。

 ここで思い浮かぶのが天理教金光教といった教派神道ですが、現在徐々に勢力を落としており、普遍宗教と呼べる存在にはなりそうにありません。また宗教的なカリスマが生まれる可能性がそう都合よく世に出てくることもないでしょう。

 しかし経済成長が鈍り、個人のアトム化が進む一方で寄るべきよすがを持たない日本人は、もう一度普遍宗教について考えてみる必要があるのかもしれません。

 

 書き始めと考えがかわったため尻切れトンボのような終わり方になってしまいました。

 自分の中で考えがまとまり次第加筆します。