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ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

「山民」と「山人」の混同

歴史・民俗

 柳田国男はいくつかの著作で「山民」と「山人」という言葉を用いていますが、この両者を混同してしまったかたは多いのではないでしょうか。私も最初に読んだ時は混同してしまい、柄谷行人さんの「遊動論」を読んで両者の違いに気付きました。

 今回は「山民」とは何なのかを柳田の著作を引きながら明らかにして行きます。

 理解を助けるために最初に端的に述べておくと、「山人」は存在するかどうかわからない日本の先住民(縄文人)であり、「山民」は現実に日本の山に住んでいる人たちです。

 

 1.九州南部地方の民風について

 学問上注意すべきこととして報告をしたいのは、山民の土地保有に関する思想でありまして、我々の書物によって学んだところとはなはだ相似て居ります。現行民法上の土地に関する規定は、今や吾々日本人の常識となって居りますが、我が国固有の思想少なくも中世までの思想とは大いなる懸隔のあるものであることは証明するに難くないのであります。右の山村においては、土地の保有は、決して個人所有を原則とは致して居りませぬ。一定の人が宅地及び田畠として利用する期間に、もちろん排他的の支配権を認めますが、その以外の土地は共有であります。

 これらの山林には土地に関する慣習以外にも、古代思想の残存せる点が少なくありません。

 

「山民」は土地保有に関して「協同自助」の思想を有している。そしてその思想は中世までの思想と隔たった古代の思想である。

 

 彼らは山麓の平地から運賃とも一升弐拾銭で容易に米を得るの道があるにもかかわらず、水田の築造をするのであります。その収穫は明らかにこれがために費やす労力資本を償わないのです。彼らもこれを知らないのではない、知って居ってもなおかつこれを敢えてするのである。その理由は抑も何にあるのか、恐らくは米食の習慣の増進、自作米を食うという農民の誇りに感染したのもその原因の一部でありましょう。

 

 この文章で注意したいのは、農民の誇りに感染したという語を用いていることである。「山民」があたかも農民ではないというような言い方をしている。

 

 要するに古き純日本の思想を有する人民は、次第に平地人のために山中に追い込まれて、日本の旧思想は今日平地においてはもはやほとんどこれを窺い知ることが出来なくなって居ります。従って山地人民の思想性情を観察しなければ、国民性というものを十分に知得することが出来まいと思います。日本では、古代においても、中世においても、武士は山地に住んで平地を制御したのであります。古代には九州の山中にすこぶる獰悪の人種が住んで居りました。歴史を見ると肥前基肄郡、豊後の大野郡、肥後の菊池郡というような地方に、山地を囲んで所々に城がありまするのは、皆この山地の蛮民に対して備えたる隘勇線であります。蛮民大敗北の後移住して来た豪族も、また概ね山中に住んで居りました。後年武士が平地に下り住むようになってからは、山地に残れる人民は、次第にその勢力を失い、平地人の圧迫を感ぜずには居られなかったのであります。いわば米食人種、水田人種が、粟食人種、焼畑人種を馬鹿にする形であります。この点については深く弱者たる山民に同情を表します。

 

 山地に残れる人民(「山民」)はかつて武士や豪族であったものである。ただし稲作ではなく粟の栽培や焼畑により暮らしていたものとされる。そして米食人種、焼畑人種という言葉を用いてあたかも人種の違いがあるような記述をしている。

 これが「山民」=山人というような理解を招く要因となっていると思われる。柳田自身は『九州南部地方の民風について』執筆時において、「山民」を我々と同一人種としながらも、古代の思想を引き継ぐという点や焼畑を行うという点で我々と異なる存在として認識していたのではないか。それが上記のようなわかりづらい記述に繋がり誤解を生むことに繋がっているのではないかと思われる。

 

 2.山民生活

 いやしくも谷川の流れがあれば、これを遡って奥へ奥へと開いて往って、新しい学問で海抜何千尺というような高地に、いつとなく寒い生活を始めております。

 

 しからばその新参の我々の祖先が生活の痕跡はいずれの点に求めるかと申しますと、自分はそれは稲の栽培耕作だと答えたいのであります。これも一種の仮定説で他日反証が出ぬとも限りませんが、今はまずその仮定の下に山民の生活の他の方面を説明してみようと思います。

(中略)

 我々の祖先の植民力は非常に強盛でありましたがそれにも明白に一つの制限がありました。いかなる山腹にも住む気はある。食物としては粟でも稗でも食うが、ただ神を祭るには是非とも米がなくてはならぬ。

 

 『山民の生活』おいて「山民」は我々の祖先と同一であり、習慣の隔たりを意識していない。また稲を作る理由も改められ、「山民」は稲作をするとしている。ここでは「山民」はただ山に住むだけで、我々と同じ存在として捉えられている。