ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

ひょうすんぼについて

 当ブログの名前にもなっている「ひょうすんぼ」は、都農あたりでは河童を指す。ひょうすんぼ(ひょうすべ)という呼び方は宮崎・佐賀を中心に九州一帯で見られるようで、兵主部が語源など諸説ある。ナスが好物だったり、毛深かかったりとカッパとは違った特徴を持っていて興味深い。

 都農ではひょうすんぼ祭りが行われているようである。(今もやっているのか知っているかたがいれば教えてください。)また国道10号線沿いにカヤシマという服屋があるのだが、そこに大きなひょうすんぼの像がある。子供のころは怖かったのだが、今見ると愛嬌があるような気がしなくもない。

 

 さて都農ではいくつかひょうすんぼについての伝承が伝わっている。

 一番有名なのは河童塚に纏わる話しだろう。要約すると馬に悪さをした河童を和尚さんが退治した話しで、その際用いた経石文を使って塚が作られたという話しである。詳しくは以下をご覧いただきたい。宮崎の民話集などにもよく載っている。

みやざきの神話と伝承101:祭られたカッパ

 河童が馬に悪さをするのはよくある話しで遠野物語などにも見られる。それにしても随分具体的な伝承で、実際の河童塚も現存している。線路沿いの道で名貫川を越えたあたりにある徳泉寺というお寺にある。名貫川が川南と都農の大まかな堺になっているが、この辺りは都農町となっている。碑には享保二年(1717年)と書かれている。随分昔の話だ。余程慕われた和尚さんであったのであろう。

 また名貫川のこのあたりでは泳ぐことが出来る。私も幼い頃は何度も行ったことがある。大きくなると別の場所に行ったのだが。もしかしたら子供たちの川遊びを戒めるためにこのような伝承が生まれたのかもしれない。

 

 筑前遠賀川で悪さをする河童に対処するため、名貫川にいた太郎河童という河童が招かれ、相撲に勝利して、遠賀川の河童が悪さをしなくなったという伝承がある。

 相撲というのも河童にはつきものである。何故遠い筑前遠賀川が登場するのだろうか。はじめは商人がリップ・サービスか何かで言ったのが広まったのだろうと思っていた。しかし遠賀川は江戸時代に都農を治めていた高鍋藩秋月氏の以前の領土である。おそらく移封の際移住してきた者が繋がりをアピールするために、このような伝承を作ったのであろう。

 

 その他にも河童の特徴をまとめた話しもある。いくつか興味深い部分がある。夏は川にいるのだが、秋になると山に入るらしくこれを「セコボー」というそうだ。また「ホーイ、ホーイ」と鳴き、近くで聞くと「クワックワッ」と聞こえるそうである。

 「セコボー」については、「セコ」が瀬(川)の子を意味し、「ボ」は人の特徴自身を示す語の下に付いて、その人自身を形容する詞ではないかという説がある。(石川純一郎、新版 河童の世界、時事通信社、1985年、p55,56)

 「ホーイ、ホーイ」と鳴くのはサンコウチョウであろうか。「クワックワッ」はアヒルの鳴き声にしか思えない。よくわからない。

 

 ひょうすんぼと粽という話もあるそうなのだが、どういう話なのか確認が取れていない。ご存知の方がいたら教えていただきたい。

 曾祖母が都農川でひょうすんぼを見たと言っていたらしいだが、その話しを聞くことが出来ないのが残念でならない。