ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

岡山と都農

 久しぶりの更新になりました。すみません。

 これからは不定期更新とします。3月中も少なくとも一度は更新出来ると思います。

 

 都農町史に付属している明治末の地図によると木戸平に吉備津神社跡があったということが記されている。江戸時代には村社として信仰を集めていたようだ。戦後に木戸平神社として合祀されたという記述がある。

都農の諸神社 その一 - ひょうすんぼ 

 吉備津神社は吉備氏を祀る神社である。補足しておくと、吉備氏は現在の岡山県を中心に勢力をもった氏族で、5世紀に最盛期を迎え、全国第四位の規模を誇る古墳も築造した。しかしヤマト朝廷によって勢力を削がれ、5世紀後半には勢力を分割された。日本史の教科書に登場する吉備真備が一番有名であろう。

 また明治末の地図を見てみると木戸平には陶山という苗字の方が多い。(陶山 - 苗字でポン! ネットの電話帳 2012)陶山という苗字は、現岡山県西部である備中国小田郡陶山村が起源とされている。(陶山さんの名字の由来や読み方、全国人数・順位|名字検索No.1/名字由来net|日本人の苗字・姓氏99%を掲載!!)

 

 いただいたコメントによれば、現在木戸平神社は陶山さんの敷地内にあり、やはり陶山氏が木戸平地域に根を張っていることが伺える。(個人情報が含まれるため、コメントそのものの引用は控えます。)

 また陶山さんは現在15代目ということだが、一般的な基準である一代平均30年で考えると初代は450年ほど前になる。もちろん概算でしかないが、おおよそ戦国時代から江戸初期あたりだと考えられる。

 秀吉による九州平定(1586年)の際に、現在の岡山県の領主である宇喜多秀家が日向方面から進軍している。都農より南である木城で起きた根白坂の戦いに宇喜多秀家も参陣していることから、都農を通っていることは間違いない。

 これが何かしらのきっかけとなり、大友宗麟の焼き討ちや耳川の戦いなどで荒廃していたであろう都農に、岡山から入植したのではないか。

 木戸平神社が都農神社の元宮であるという言い伝えがあるとコメントでいただいたが、これについても調べてみたい。

 

 もし可能であれば、先祖の話や元宮の言い伝えについて伺ってみたい。

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