ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農の歴史② 古代

1、中央政府との関わり

 律令制が整備されていく中で、国郡里制が施工された。和名類聚抄(931~938年)には児湯郡都野という記載がある。

 都農には駅(伝馬の設置場所)が設置されていたと思われる。都農の草書とよく似た「去飛駅」が都農駅に比定される。

 都農の港のほうに都農駅で使われていたという伝承が残る井戸があるが、地理を考えると都農神社付近に都農駅が置かれたと思われるので、後世の創作であろう。

 また延喜式(905年)に馬牧として「都濃野」という記述があるが、おそらくこれは都農のことであろう。

 11世紀に入ると、寄進地系荘園が広まっていく。宮崎県の県北や県央は宇佐神宮の荘園となっていたので、おそらく都農も宇佐神宮の荘園であったのだろう。

 

2、都農神社

 都農神社は837年に官社となり、843年には従五位下の位が授けられた。858年には従四位上となっている。

 延喜式神名帳(927年)では日向国内の神社で都農神社が一番神位が高く扱われており、日向国一宮となっている。

 また都萬神社との勢力争いもあったようだが、詳しい記述がなく定かではない。