ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農の方に聞きたいこと

 都農の方に聞きたいことをまとめてみました。

 このブログを都農町民の方が見てくださっているのかはわかりませんが、もし見てくださっている方がいて、以下のことについて何か知っていることがあるのであれば、教えていただけると嬉しいです。

 

 

 1.都農を「つのう」と呼んだり聞いたりしたことはあるか

 1970年以前の資料において都農に「つのう」とるびが振られることが多い。

 

 2.津野という地名を都農で見たことがあるか
 江戸中期までは明らかに都農とは別に津野という地名が存在していたが、江戸後期には消えている。

 

 3.都農神社で饒速日命ニギハヤヒ)を祀っていたという話しを聞いたことはないか

 尾鈴神社の祭神は饒速日命であり、惣国風土記には都農神社で饒速日命を祀っていたという記述あり。惣国風土記偽書の可能性が高いとされているが、何の根拠もなく饒速日命を祭神とするであろうか。

 

 4.岩山について何か言い伝えを聞いていないか
 都農神社の御神体とされる吐濃々峯は都農牧神社にある岩山の可能性が高い。都農神社の神域が昔は都農牧神社の辺りまであったなど。

 

 5.都農の夏祭りでは何故太鼓台をぶつけているのか聞いたことはないか
 例えば兵庫県にある妻鹿のお祭りでは、神功皇后が船についた牡蠣を落とすために船をぶつけたのを起源としている。

 

 6.墓の側にある子の成長の祈願する地蔵について言い伝えを聞いていないか
 もとはどこにあったかや、何故作られたかなど

 

 7.吉備津神社について何か聞いたことはないか
 木戸平にあったことが明治時代の地図に記されている。どこに合祀されたか、由緒など

 ※町史を読み直したところ戦後木戸平神社に合祀されていることがわかりました。また江戸時代は村社として信仰を集めていたようです。ただ現在の木戸平神社の位置がわからないので、ご存知の方がいたらご教授いただけると幸いです。

 

 8.秦河勝についての伝承を聞いたことはないか
 大友宗麟の日向侵攻の際に、秦河勝が奉納したと言われる神面を避難させたという記述がある。

 なお秦河勝飛鳥時代の人で、聖徳太子の側近として活躍したとされている。また鼻が高く目鼻立ちがはっきりしていたことから猿楽の始祖となったという言い伝えもある。

※存在を確認出来ました。 

 

 三輪さんがいらっしゃれば

 9.三輪という苗字を名乗っているわけ、あるいはどこかから移住して来たかなどという言い伝えを聞いたことはないか
 都農神社付近に異常に三輪姓が集中しており、移住してきた可能性が高い。

三輪姓が高密度分布を示す市町村の一覧表

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(日本苗字分布図鑑 http://myozi.web.fc2.com/autumn/zukan/frame/f000403.htm