ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農

尾鈴山について 再考⑤-1 尾鈴神社と廃仏毀釈

尾鈴山の祭神については再考を書いたばかりである。それから一ヶ月もしないうちに追加で色々述べるのは少し気が引けるが、また尾鈴山の祭神について考えたい。 尾鈴山について 再考③尾鈴山と饒速日命 - ひょうすんぼ 1952年に開始された宗教法人の登記に…

都農と津野①

以前書いた記事と一部内容が被る部分はありますが、大規模な修正をしました。 都農(ツノ)という地名を見てどんなイメージを持つだろうか。 漢字を素直に解釈すれば「農(業)の都」。いかにも地方の田舎町という感じだ。実際、漢字の意味が大まかにわかっ…

三輪氏について

三輪姓を持つ人が都農町に多く住んでおり、江戸時代末期や明治初期の資料を見るか限り、それなりに力をもった家であることも伺える。 その密度は全国でも5位以内に入るほどであり、県内に他に密集地がないことから何らかの要因があると考えられる。 三輪姓…

尾鈴山について 再考④ 尾鈴山の呼称

4回に渡って続いた尾鈴山再考も今回で終わりにします。 尾鈴山は今でこそ尾鈴山の呼称で統一されているが、以前は違ったようである。 再考①で登場した吐濃峯もそうであるが、他にもいくつかの呼称がある。 昔から今までに尾鈴山を、速日の峰と呼んでおるの…

尾鈴山について 再考③尾鈴山と饒速日命

再考①で尾鈴山で祭られている神と都農神社で祭られている神は同一だと記したが、この説には大きな欠陥がある。都農神社の祭神は大己貴命であるが、尾鈴山を祭る尾鈴神社、細神社は共に饒速日命を祭神としているのである。再考③では何故尾鈴山で饒速日命が祭…

尾鈴山について 再考②信仰の起源

尾鈴山の信仰の起源は何か。 御神体を避難させたことで尾鈴山信仰が生まれたとの説も採りうるが、避難させる以前の室町時代に尾鈴山と吐乃大明神の関連性が述べられている以上説得力を欠く。 また都農神社と三輪氏との関連性から、尾鈴山を三輪山に比定する…

尾鈴山について 再考①尾鈴山と都農神社

尾鈴山について以前記事を書いたが考えが変わったため再掲する。 尾鈴山そのものを祭っている神社として、尾鈴神社、細神社がある。両神社とも尾鈴山の近くにあり、尾鈴山信仰が生まれるのはもっともであろう。 今回考えるのは都農神社が尾鈴山信仰を内包し…

都農の民話

都農高校の先生が編纂した「つの町ふるさと物語」には町史に収められていない多くの民話が収録されていた。恐らく発行部数は少なく、図書館などにしか置かれていないと思われる。聞いたことがある民話と細かい点で内容が違うものも多く、その意味で参考にな…

都農の諸神社と古墳

1、都農の諸神社 以前都農の諸神社という記事を書いたが、今回は案内していただき小さな神社を中心にめぐった。 山間部の神社を除いて10社ほどを訪れた。かつて都農に子供が多かった影響なのか菅原神社が多い。菅原八坂神社という不思議な名前の神社があ…

つのぴょんと行く!都農町探検

都農の観光地や魅力が3分間にまとめられた、「つのぴょんと行く!都農町探検」という番組があることを今更ながら知った。 3分という時間であれば、細かな魅力も伝えられるであろうし、動画の方が文章よりわかりやすく魅力を伝えやすいので、都農の魅力を知…

都農町の誕生

1、明治維新後 1869年の版籍奉還に伴う藩政改革で現在の都農町に属する地域は川北郷と都農町とされた。都農町は商店街がある地域一帯で、川北郷はそれ以外の地域だと思われる。 その後同年10月には北庠という名で両地域は統一される。翌年にはまた北…

都農の歴史⑦ 戦後

1、戦後 戦後都農への復員者は約1300名、引揚者は約700名と合計2000名が都農に帰ってきた。しかし当時の日本は国土の荒廃と食糧難、激しいインフレに悩まされており、都農もその例外ではなかった。そのため長野、牧内、都農牧場へ入植が進められ…

都農の歴史⑥ 近代 大正・昭和前期

1、大正時代 大正9年に都農は村から町へと移行する。都農は児湯郡内でもっとも有権者数が多く、人口も川南と僅差の二番目であった。(町史では人口が郡内で一番とされているが誤記だと思われる。) さらに大正10年には日豊本線が都農まで延び、商業、農…

都農の歴史⑤ 近代 明治

1、明治維新の影響 1868年の明治維新から2年後には版籍奉還が行われたものの、実体は以前と変わらなかった。しかし版籍奉還から2年後の廃藩置県により名実ともに藩政が廃止される。その後都農は美々津県→宮崎県→鹿児島県→宮崎県という経過をたどる。…

都農の歴史④ 近世

1、江戸時代 都農は江戸時代一貫して、高鍋藩秋月氏の支配下に置かれる。 日向国高鍋領郷村高辻帳(1711年)には現在都農町に属する村々が挙げらている。寺迫村・征矢原村・長野村・瓜生村・岩山村・篠野別府村が記載され、石高は合計すると1983石…

都農の歴史③ 中世

1、鎌倉時代 日向國図田帳(1197年)によると、都農は殿下御領と呼ばれる藤原氏の荘園であり、「新納院百二十丁、右児湯郡内地頭掃部頭」に含まれる。新納院とは都農を含む荘園の名で、木城・高鍋・都農・川南を中心とした地域を指す。掃部頭とは源頼朝…

都農の歴史② 古代

1、中央政府との関わり 律令制が整備されていく中で、国郡里制が施工された。和名類聚抄(931~938年)には児湯郡都野という記載がある。 都農には駅(伝馬の設置場所)が設置されていたと思われる。都農の草書とよく似た「去飛駅」が都農駅に比定さ…

都農の歴史① 原始時代

都農の歴史について簡潔にまとめていく。参考資料は主に都農町史1998年になります。 1、縄文時代まで 縄文時代は温暖な気候で、宮崎の海岸付近では現在よりも5~10mほど海水面が高かったことが予想される。したがって現在の都農の中心部は海で、国道1…

戦時下の都農

まずは都農の戦時下について町史に書かれていることを簡単に書く。 都農は隣の川南に空挺部隊の演習場があった影響で、野営地の一つとなっていた。都農からも多くの兵士が徴集され、都城連隊に編入されて中国、フィリピンなどを転戦した。また沖縄県の糸満市…

都農のゲストハウス

都農駅がリニューアルしたそうだ。8月になれば夏休み入るので、ジオラマも見に行ってみたい。 都農駅がリニューアルしました - 日々の都農 都農にはあまり宿泊施設が多くない、最近出来た国道沿いにあるホテルAZと駅前の亀屋、町中の大黒屋のみである。 私…

郡衙

三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」に興味深い話しが載っていた。以下は太字は引用 ※ある識者の説 滝神社の近くには、弥生時代の竪穴式住居跡の一部が確認された境ヶ谷遺跡、古代土器の出土を見た京塚、黒石などの遺跡が存在しており、ある識者は、不…

日向国都農町史

「日向国都農町史」,都農町教育委員会, 1955年 1998年に発行された都農町史の一個前のものにあたる。現在の都農町史に比べると薄く、200ページにも満たない。記述には推論や確証のない話が多く、現在の都農町史に載っていない内容が多い。その意…

耳川の戦いと都農

耳川の戦いは、最近は小丸川(高城)を耳川と誤記したのではないかということで高城川の戦いとも言う。都農でも激戦があったようだ。 まず大友軍の南下を島津軍が都農で迎撃したのだが、すぐに破れ大友軍は高城まで進軍した。恐らくその際都農神社が焼き払わ…

都農の諸神社 その二

今後は5日に一度の更新という形で、定期的に更新していこうと思います。 1.瀧神社 ワイナリーに行く途中にあります。かつては都農神社の奥宮であったようです。その名の通り、社殿の裏に滝があります。滝といっても水量は少なく水が滴り落ちる程度です。 …

都農の諸神社 その一

都農には日向国の一宮たる都農神社がありますが、それは以前書いたので、今回は都農にある小さな神社について記事にしました。 三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」は大変が参考になった。ファイルをまとめたような形であったので恐らく出版はされてい…

都農でしたいこと

来月の半ばに都農でしたいことを書き出しておきたいと思います。半分メモ代わりです。したいことが増え次第追記します。 ・都農牧神社訪問 都農牧神社の岩山が都農神社の御神体であったのではないかと考えているので、訪れて確認してみたい。 ・尾鈴神社訪問…

湯ノ本

都農には湯ノ本という地名がある。(墓のあたりです。)都農は岩盤が硬く分厚いため、温泉が湧かないのですが、このような地名があるわけです。何故なのかと思い調べてみると、二つの説が見つかりました。 一つは広報つの2015年10月号p21に載っているもので…

第6次都農町長期総合計画

都農町は2020年に町制施行100周年を迎える。それにあたっていくつかの事業が計画されているようで、その計画についてのパブリックコメントの募集がされている。 第6次都農町長期総合計画(素案)に係るパブリックコメントの募集について|都農町 150…

勘十爺の頭 ※追記あり

新年あけましておめでとうございます。2017年も最低週に1度はブログを更新できるよう努めたいと思います。 都農では「勘十爺の頭(を結う)」という独自の方言がある。私は全く聞いたことはなく、私の親世代も聞いたことがあるものの意味まで把握出来ていな…

都農高校

都農高校の閉鎖が決まった。以前から閉鎖の話しはあったのだが、正式に決まったようである。 学区制の時代は賑わっていて、都農中学からは半数ほどが都農高校に進学していた。残りの半分は同学区にある高鍋高校に進学しており、私の親も高鍋高校であった。し…