ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

金丸家と都農参り

 金丸家は修験の家系で同家に残る「日下部姓金丸系図」によると、古代日向の代表的豪族日下部氏にゆかりのある家柄である。日下部氏は日向中部を治め代々妻万神(都万神社)に仕えた。日下部氏は仁徳天皇の皇子、大日下王と若日下王のために設けられた御名代部から発したと伝え、2皇子の母は日向の諸県君牛諸井の娘、髪長媛といわれている。日下部氏は法元・湯浅・金丸・岩切・吉野・杉尾・郡司など18家に分かれ、古代から国府や郡司などの任に当たるものや妻万宮の神職をはじめ、宮崎平野に鎮座する諸神社の神職を務める家が多いといわれる。

宮崎みんなのポータルサイト miten 宮崎の情報満載 - mitenコラム

 このコラムでは、金丸家が取り上げられている。金丸家が日下部家につながる家系であることを考えると、都農神社の神職を金丸家が務めていたことも頷ける。

 

 高鍋藩は霧島参詣を禁じ、代わりに都農神社と尾鈴神社の参詣は「勝手次第」とし、領内神社参詣を奨めている。しかし、領民は行かなかったと思われる。何故なら信仰心に伴う参詣というより、自国領外、知らない土地に行き見たことない珍しい物を見たり食べたことのない物を食べたりする、いわゆる物見遊山が主目的であったからである。

宮崎みんなのポータルサイト miten 宮崎の情報満載 - mitenコラム

 以前同様の記事を書いたが、その記事で私は都農参りへの方針転換は成功したと推測していた。しかし伊勢参りなどの参詣が信仰心というよりは、物見遊山の口実であることを考えていなかった。そのことを考えると、このコラムのように都農参りへの方針転換はうまく行かなかったのかもしれない。

都農参り - ひょうすんぼ