ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

四国と都農

 都農を含む児湯郡には四国とりわけ高知や愛媛からの移住者が多いように思われる。ここでいう移住者は近年の話ではなく、江戸時代以前の話である。

 柳田国男も椎葉に向かうためこの地を通った際に以下のように述べている。

 宮崎もまた純然たる新開地の町でありまして、土語方言というものだなく、諸国語の混合であります。この土地で最も勢力のあるのは、伊予の宇和地方の者であります。高鍋の北なる河南村の高原、美々津、細島地方より、西臼杵郡高千穂地方、すなわち三田井附近にも移住者がはなはだ多く、新開地の状態を呈して居るのであります。

(「柳田國男全集5巻、『九州南部地方の民風』」,柳田国男,筑摩書房,1989年)

「九州南部地方の民風」について - ひょうすんぼ

 

 また宮崎弁は豊日方言に分類され、大分県や福岡県東部の方言と近い構造になっている。豊日方言は九州の他の地域の方言と比較して本州や四国に近いものとなっている。これは豊日地域と本州や四国との交流が盛んなことの証左であろう。

 

 まだ資料不足でほとんど何もわかっていないのだが、これから調べていきたい。