ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農の民話

 都農高校の先生が編纂した「つの町ふるさと物語」には町史に収められていない多くの民話が収録されていた。恐らく発行部数は少なく、図書館などにしか置かれていないと思われる。聞いたことがある民話と細かい点で内容が違うものも多く、その意味で参考になった。

 民話の多くは都農で使われる慣用句の由来や、地名の由来などだが、河童、神武天皇関連の逸話も多かった。のほほんとした民話が多い。それだけに以前も紹介した「都農神山の白鳥」という民話で、白鳥を捕らえただけで一万もの人が死んだとされていることが異様に感じる。

 明田に伝わる浦島太郎伝説や、名貫川の由来など町史には載っていないが興味深い話がいくつか載っていたので要約して載せる。

 

1、浦島太郎伝説

 乙姫様にあたる方が「津野姫」という名で、都農と縁が深かった。そのため浦島太郎は玉手箱をもらって帰ってくる時に明田の浜に上陸したという。

 

2、名貫川の由来

 耳川の戦い(高城川の戦い)で敗北した大友軍が敗走中に名貫川を渡ろうとしたが濁流でなかなか渡ることが出来なかった。常に浅い川だと聞いていたのにと大友軍の大将が嘆いたことから「嘆き川」となり、訛って「名貫川」になったという。

 

3、その他

 以前紹介した猫神様には対になる犬神様がいたという話も載っていた。そのほかにも遍照院の刀傷が残っていないことも確認できた。