都農の諸神社と古墳
1、都農の諸神社
以前都農の諸神社という記事を書いたが、今回は案内していただき小さな神社を中心にめぐった。
山間部の神社を除いて10社ほどを訪れた。かつて都農に子供が多かった影響なのか菅原神社が多い。菅原八坂神社という不思議な名前の神社があったが、それには由来があるそうで、教えて頂いたが、ここでは伏せる。
10世帯ほどの小規模の地区も含めてほぼ各地区毎に一つは神社があった。今でも信仰は続いているそうで、9月ごろに各神社ごとに祭りが開かれているという。土俵がある神社も散見された。
実際に確認したわけではないが、都農の神社は石を御神体としているところが多いそうだ。
リニアの実験線の終点付近にある金比羅神社は地区の神社というわけではなく、行商人の信仰を集めていたそうである。
2、都農の古墳
都農にも古墳があり、そのうちのいくつかは積石塚と呼ばれる珍しい形態をとる。
「古代日向の国」(日高正晴、1993)では、積石塚があるのは九州では都農だけで、東北アジアから影響を受けた可能性があると指摘されている。
リニアの実験線の終点付近と、龍雲寺の側にあるのだが、龍雲寺の側にあるものしか見つけられなかった。
写真のように現在はコンクリートで固められており、石を積んだ塚には見えないが、昭和11年ごろに撮影された写真を見ると、確かに石を積んだ塚となっている。