ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

民俗学の学際性

1、学際性の必要性

 島村恭則氏は「フォークロア研究とは何か」[i]の結びにおいてフォークロア研究の学際性を強調している。

 

 もう一つあらためて注意しておきたいのは、フォークロア研究は、人文社会系諸学の学際的状況の中で成立するものだということである。[ii]

 

 同氏によればフォークロア研究とは民俗学を批判的・継承的に発展させたものであるため、民俗学と異なる部分もあるが、民俗学及び他の学問の発展のためにも民俗学の学際性は必要といえるだろう。

 民俗学の学際性について検討される際、多くの場合は隣接している社会学歴史学文化人類学が取り上げられる。島村恭則氏もそうである。しかし他の学問との関わりも考えてみるべきであろう。

 そこで本論では私自身が所属している学部の関係から法学と民俗学との関わりを考えていく。振り返ってみれば民俗学創始者たる柳田国男も法学部卒業であり、日本国憲法審議会に参加していることなどから、民俗学と法学は少なくとも柳田の思考枠組みの上では関わりを持っていたといえるだろう。

 

2、法学と民俗学

 法律が人々のあり方を制約する以上、法学と民俗学の距離は近いといえる。法学の中でも、民俗学にとって関わりが深いのは家族法であろう。以下で家族法民俗学について検討していく。

 

 「家」制度の残滓をほぼ一掃し、形式的な男女平等を実現した新しい家族法は、戦後の日本社会の形成に大きな役割を果たしてきたといってよい。習俗はつねに法律によってリードされてきたのである。[iii]

 

 ここで述べられているように習俗が法律という外生的制度によって動かされることは否定し難いであろう。一般的な人々を研究する民俗学は一般的な人々の行動を制約する法律を常に念頭に置いて考える必要がある。

 

 ところが、1980年代以降、状況は変わりはじめる。戦後30年を経て、ようやく習俗が法律を追い越す兆しをみせているのである。現行法の不備が語られ、手直しが考えられはじめている。[iv]

 

 また現実の習俗に対応しきれなくなった法学の側からも民俗学が求められているといえる。理論的枠組みや規範としての法学はおいておくとして、少なくとも現在の人々のあり方については民俗学の方が法学よりもより正確に捉えているはずであり、何らかの知見は提供出来るだろう。

 例えば夫婦の姓のあり方や、生殖補助医療の登場、扶養義務など多岐に渡る問題を家族法は抱えている。そもそも家族とは何かという議論も展開されている。大村敦志によれば1947年に制定された戦後の新民法は引き算で応急処置的に作られたものであり、現行の家族法は限界を迎えつつあるのであろう。

 先月120年ぶりの債権法大改正がなされたこともあり、法改正の機運は高まっているといえる。このように法改正の機運が高まっている状況下だからこそ、民俗学は現実の人々のあり方についての知見を提供し、法学の発展に大きく貢献出来るだろう。

 

 

[i] 島村恭則 「フォークロア研究とは何か」 (『日本民俗学』278号 2014年5月)

[ii] 同上

[iii] 大村敦志 「家族法 第3版」 有斐閣法律学業書 2010年

[iv] 同上