都農の歴史⑦ 戦後
1、戦後
戦後都農への復員者は約1300名、引揚者は約700名と合計2000名が都農に帰ってきた。しかし当時の日本は国土の荒廃と食糧難、激しいインフレに悩まされており、都農もその例外ではなかった。そのため長野、牧内、都農牧場へ入植が進められ、約200戸が入植したものの、その多くが離農した。
GHQ主導の下行われた農地改革により、都農町内でも自作農が増加し、94%が自作農となり、戦前の二倍となった。
1954年から57年にかけて、美々津町との合併運動が行われた。結果的には日向市と合併することになったが、この時期の都農は高校の誘致や、町立病院の設立など活気を見せていた。
人口は1950年にピークを迎え、1万5760人となったがその後緩やかに減少し、1965年には1万3000人ほどとなる。30年ほど人口は横ばいとなっていたが、90年代に入るとまた人口減少が始まり、現在は1万人をわずかに超す程度にまで減っている。
他に特筆すべきこととしては1977年のリニアモーターカーや1996年の都農ワイナリーの開設があげられるだろう。
町史は1998年発行のため、それ以降のことは載っていないが、重大事項としては児湯郡内での合併交渉、道の駅つのの開設、ふるさと納税の好況や、東九州自動車道の開通などがある。