ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

戦時下の都農

 まずは都農の戦時下について町史に書かれていることを簡単に書く。

 都農は隣の川南に空挺部隊の演習場があった影響で、野営地の一つとなっていた。都農からも多くの兵士が徴集され、都城連隊に編入されて中国、フィリピンなどを転戦した。また沖縄県糸満市から疎開を受け入れていたという。その縁で姉妹都市となっている。

 戦争末期になると予測される米軍の上陸作戦(オリンピック作戦)に対処するため、都農に師団が配備された。終戦時までに配備は完了しきらなかったものの、2万を越す兵が都農にやってきたという。

 

 以下は聞き書きで、町史に記載のないものになります。

 北新町のあたりに3名の米軍捕虜が収容されており、また保育所のあたりに憲兵隊の施設があったという。

 都農に配備された菊地兵団の櫻井少将(おそらく櫻井徳太郎氏だと思われる)は戦後もそのまま都農に残り、私が話しを聞いたかたと共に畑を耕したという。

 当時の価値観は戦後生まれの私にはわからないが、当時の価値観からすれば少将と共に畑を耕すのは衝撃的だったのだろう。少将への敬意を払いつつ、語ってくださった。