南原繁と折口信夫 その一
ネタが尽きつつあるので、論考を。
南原繁は戦後最初の東大総長を務めた政治学者である。一方で折口信夫は民俗学者である。両者はかなり異なる背景を持ち、対談などといった形で積極的な交流を持たなかったと。しかし両者とも同じ時期に同じようなことを考え、発表した。それは神道の普遍宗教化である。
南原は1946年2月の紀元節(現在は建国記念の日)に東大で「新日本文化の創造」と題する演説を行った。
簡潔に要約する。(簡潔過ぎるので詳しくは読んでいただけると幸いです。)
敗戦によって戦前の誤った日本精神が崩壊した中で、新たなる精神的変化が必要である。「人間を超えた超主観的な絶対精神」と出会うことで人間はその限界を克服して、真の自由を手に入れられる。それには「新たに普遍人類的世界宗教」を受けいれなければならない。そしてその中で神道の可能性を示した。
折口は戦争末期から「神道の新しい方向」や「民族教より人類教へ」、「神道宗教化の意義」といった論考の中で神道の普遍宗教化について考えている。「神道の新しい方向」については青空文庫(著作権が切れた著作を無料で読める電子文庫)に掲載されていたので、リンクした。
南原の演説は、演説であるため聞き手である当時の東大生には多少なりと影響を与えた思われ、また朝日新聞に掲載され広く読まれた。
一方で折口の論考はあまり影響力を持たず、折口自身は神道界から追放されることとなった。
戦後70年経った今振り返って考えてみると、両者の切実な願いは叶わず日本に普遍宗教が生まれることはなかった。普遍宗教を生み出そうとする運動すらほぼなかった。急速な経済成長と唯物論的無神論の流行によって覆い隠されてしまったのがその要因だと思われるが、それ以外にも理由はある。
その二で南原、折口それぞれへの批判を検討していきたい。