ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

「協同自助」の思想について

 以前書いた「遊動論」についての記事の続きのような内容だが、自分の中であまり確証を持てておらず、かなり雑な議論を展開をしているので、メモ書きだと思って読んでいただけると嬉しいです。(期末試験の勉強の妨げにならないよう、もやもやしたものをとりあえず書き留めて置きたかっただけです。)

 何故「協同自助」の社会の実在性を疑ったのかというと、椎葉訪問以前から柳田が「協同自助」の社会を探していたのではないかと考えているからだ。柄谷によれば柳田は子供の頃に経験した飢饉がきっかけとなって農政学者を目指し、後には農政官僚として農村における「協同自助」を提唱したという。飢饉への対処法として考えられたのが、「協同自助」の社会なのである。

 ここで考えたいのは「協同自助」という思想を椎葉訪問以前から持っていたのではないかということである。そもそも椎葉訪問は柳田の視察の行程には含まれていなかった。熊本の弁護士や宮崎県知事の話しを聞いて訪問を決意したようである。もちろん農政学者としての関心もあるのであろうが、「協同自助」の社会があるかもしれないと期待したのであろう。中瀬村長もその期待に応えようとしてしまったのではないか。地縁的・血縁的な相互扶助というのはある程度どこにでも見られるもので、特異な土地の分配方法が否定されたなら、特筆すべきような特殊性は見いだせない。そもそも柳田の滞在期間は短く、詳しい調査は出来なかっただろう。

 まとめると「協同自助」の社会を探していたという背景があって、たまたま見つけたそれらしき村に理想を当てはめてしまったのではないかということだ。ヴェーバーの議論を援用するならば、価値命題と事実命題の分離が不徹底なのではないかということになる。

 

 ※突然ヴェーバーが出てきて不自然だと思われるかもしれない。それはもっともな話しなのですが、自分の中に社会科学の理論を民俗学にもってこれないかという考えがあって試しに持ってきただけです。例えばデュルケムの社会進化の議論など。逆に民俗学を他の学問に援用出来ないかとも考えている。例えば丸山真男の古層論に援用出来ないかなど。そのため無視して頂いて構いません。

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