勘十爺の頭 ※追記あり
新年あけましておめでとうございます。2017年も最低週に1度はブログを更新できるよう努めたいと思います。
都農では「勘十爺の頭(を結う)」という独自の方言がある。私は全く聞いたことはなく、私の親世代も聞いたことがあるものの意味まで把握出来ていないようである。私の曽祖父世代つまり1900年ごろに生まれた人は盛んに使っていたようだ。
都農町史によると、意味は「当てにならぬことを当てにして待つこと」ということらしい。
この勘十爺の話しが都農町史に載っていたので、以下に記載する。
「勘十爺の頭」
一の宮の近くに勘十爺という者が住んじょったげな。爺というと年寄りのごだる(ようにある)が、都農ん町じゃ四十ぐれ(ぐらい)になると「何々じい」と呼んで親しみをこめちょった。
明治になち(なって)、なんもかんも変わった。みんなざんぎり頭にしたが、この爺と新町の丑五郎の二人がちょんまげで通した。
「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」ちゅ(という)歌もはやっちきた。爺は「日本人にゃ日本人のやりようがござんす。姿、形はどうでもいい。問題は心よ」といっていた。嫁女が「お前ばっかりちょんまげしちょっと(していると)目立つが。子供まじ(まで)肩身がせめが(狭いが)」といっても馬耳東風でかかりあわん(とりあわな)かった。
読み書き算盤も出来、重宝がられ勘十も一つや二つの役を貰う男になっちきたげな。
稲もよう出来て刈り入れを始めにゃと思ちょる頃じゃった。
「嫁女貰えがあるげな。勘十どん。お前も祝いの席に呼ばれたじゃろ。はりくじ(はりこんで)つつじ行きゃいよ(祝儀をもって行きなさいよ)」と畑のもどりに作次が話した。
しかし、晩飯頃にも案内はなかった。呼ばれんとじゃろか。そんげなはずはねぇ。とにかく、明日の朝「呼ぶのを落としちょった。はよ来てくりゃい」と使が来てからじゃ間に合わんと、橋の元の床屋で念入りに結うてもろたげな。
一番鶏の鳴く頃起けち(起きて)、家を出たり入ったりして待っちょったが日が高くなっても誰も呼びにこん。勘十は、今まで経験したことのない、言いようのない暗い穴の中に落ち込むような気持ちが胸の中で渦を巻き、やがて大きくなってとうとう爆発した。
「こんげな頭(髪)がなになるか。かなぐっちしもち、犬に食わし(ひきくずしてしまって、犬に食わせてしまえ)」とおろだ(大声を出した)げな。そして、きれい結うちょったちょんまげをくずしてしもたげな。手を髪油べとべとにして・・・。
こりかい(このことから)当てにならぬことを当てにして待つことを「勘十爺の頭」というようになった。
この話しが「勘十爺の頭(を結う)」という言葉を生み出したという。勘十爺は三輪勘十さんという実在した人物のようで、他にも「勘十爺のむじなすべ」という話しが町史には掲載されている。余程人気者であったのだろう。
こういった一見訳の分からない言葉残っているのは面白いなと思ったので、記事にした。
※追記
三輪勘十さんの話しが広報つのに載っていた。三輪勘十さんは都農組の長を務めて居た人で、維新政府が土地賦課方式に切り替えたからであろうか。後藤正淑さんに湯ノ本の地をただで引き渡したという。
広報つの 2016年1月号 p21
http://www.town.tsuno.miyazaki.jp/display.php?cont=160205192733