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ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

「遊動論 柳田国男と山人」①

 柄谷行人柳田国男論には大きな影響を受けた。しかしながらこれについては自分なりの批判もある。そこで「遊動論」についての批評を書いて行きたい。量が多いので2回にわけて書こうと思う。今回は「遊動論」のベースにある「協同自助」の思想についての理解をまとめた。

 

 最初に注意したいのは山人と山民が異なるということである。山人は存在するかどうかわからない日本の先住民であるが、山民は現実に日本の山に住んでいる人たちである。

 

 柳田の前にはいつも「貧しい農村」という現実があり、それを解決することが彼の終生の課題であった。が、彼にとって、「貧しさ」はたんに物質的なものではなかった。農村の貧しさは、むしろ、人と人の関係の貧しさにある。柳田はそれを「孤立貧」と呼んでいる。では、どうすればよいのか。柳田が協同組合について考えたのは、そのためである。[1]

 柳田は10歳の時に経験した飢饉に非常な衝撃を受けた。この経験が後に「協同自助」の社会の実現という主張に繋がっていくと思われる。

 

椎葉村に柳田が驚いたのは、「彼等の土地に対する思想が、平地に於ける我々の思想と異なって居る」ことである。柳田にとって貴重だったのは、彼らの中に残っている「思想」である。山民における共同所有の観念は、遊動的生活から来たものだ。彼等は異民族であると見なされない。ゆえに山人ではなく、山民である。しかし、「思想」において、山民と山人と同じである。柳田はその思想を「社会主義」と呼んだ。柳田のいう社会主義は、人々の自治と相互扶助、つまり、「協同自助」にもとづく。それは根本的に遊動性と切り離せないのである。[2]

柳田は椎葉で理想とする「協同自助」の社会を発見した。そしてそれが遊動性と切り離せないということに気づいた。山民を遊動性を持つ山人とは異なるが、山民の思想の中に山人と同様のものがある。では何故遊動性と「協同自助」は切り離せないのか。

 

 定住とともに生産物の蓄積、さらに、そこから富と力の不平等が生じる可能性があった。それは早晩、国家の形成にいたるだろう。しかし、そうならなかったのは、定住した狩猟採集民がそれを斥けたからである。彼らは、定住はしても、遊動民時代のあり方を維持するためのシステムを創りだした。それが贈与の互酬性なのである。[3]

 柄谷は狩猟採集民的が定住したあとも国家社会に至る道を回避するため「贈与の互酬性」を生み出したとしている。国家を形成し、富の偏在を容認した常民では「協同自助」の社会を生み出すことが出来ない。

 では何故椎葉の山民は「贈与の互酬性」の思想を持っているのか。柳田の論理展開と柄谷の論理展開が異なることに注意しなければならない。柳田はその理由を山人に求めている。山民は原初的遊動性を持つ山人と接点を持つからこそ「協同自助」の思想を持つことが出来たというものである。(※後に柳田は山人論を引っ込めていることに注意)しかし柄谷は山人の実在を信じていないため、このような論理展開をとることが出来ない。明示的には説明していないが、恐らく柄谷の論理はこうであろう。(議論の中核になる部分であるにもかかわらず、明示的に説明しないのは不味いと思うのだが)山中深くにある椎葉は江戸時代に入るまで国家からの支配を免れており、国家の支配を受けたのが他の地域に比べ遅かった。そのため「贈与の互酬性」の思想をどうにか保つことが出来たのである。

 

 柳田が賞賛したのは、焼畑という農業技術ではなく、遊動性がもたらした社会形態なのだ。それは、たとえ外見上焼畑農業が残っても消えてしまうだろう。ただ、山民が現に行っていることを、将来彼ら自身が、別のレベルで実現するだろうと期待し、そのために現在あるものを記録する。それが柳田の民俗学あるいは「郷土研究」である。これは「供養」のようなものである。が、柳田はそれが将来役立つと信じたのである。[4]

 

 資本=ネーション=国家を越える手がかりは、やはり、遊動性にある。ただし、それは遊牧民的な遊動性ではなく、狩猟採集民的な遊動性である。定住後に生じた遊動性、つまり、遊牧民、山地人あるいは漂泊民の遊動性は、定住以前にあった遊動性を真に回復するものではない。かえってそれは国家と資本の支配を拡張するのである。

 定住以前の遊動性を高次元で回復するもの、したがって、国家と資本を超えるものを私は交換様式Dと呼ぶ。それは単なる理想主義ではない。それは交換様式A(互酬)がそうであったように、「抑圧されたものの回帰」として強迫的に到来する。

 (中略)

 交換様式Dにおいて、何が回帰するのか。定住によって失われた狩猟採集民の遊動性である。それは現に存在するものではない。が、それについて理論的に考えることは出来る。[5]

 

 彼がいう日本人の固有信仰は、稲作農民以前のものである。つまり、日本に限定されるものではない。また、それは最古の形態であるとともに、未来的なものだ。すなわち、柳田がそこに見いだそうとしたのは、X(交換様式D)として回帰するような現遊動性なのである。[6]

 柄谷はグルーバル化が進む現在で改めて遊動性が重視されるようになったと説く。国家と資本を超える交換様式Dは未知なるものであるが、確定的に到来する。その交換様式Dを考えるためには柳田が将来役立つと考えた民俗学が不可欠なのである。柄谷が「世界史の構造」発表後の今になって柳田に再注目している理由はここにあるのだろう。

 

[1] 「遊動論 柳田国男と山人」柄谷行人,2014年,文藝春秋 p62,63

[2] 同上 p72

[3] 同上 p183

[4] 同上 p99.100

[5] 同上 p192,193

[6] 同上 p195