ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農の読み

 現在の考えについては右記を参照ください。目次 - ひょうすんぼ

 都農を「つの」と呼ぶか「つのう」と呼ぶかについてのコラムが広報つのに掲載されていた。

 

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広報つの|都農町 2011年3月号

 

 都農(つの)を以前は「つのう」と呼んでいたという話しを夏に帰ったとき聞いたのだが、一人からしか聞くことが出来なかったので確証を持てていなかった。もしかしたら南校域(南小付近のことだと思われる)の若いご婦人は、祖父母などから昔は「つのう」と呼んでいたと聞いていたのかもしれない。南小付近には町外から引っ越してくる人が多いので、漢字を素直に読んで疑問に思ったのかもしれない。

 以前私も都農の読みについての記事を書いた。もし以前「つのう」と読んでいたのなら大きな影響がある。しっかり調査したい。

「都農」の由来について - ひょうすんぼ

 

 なおコラムの方で、都農は過去の文献において「つの」と読ませていたと書いてあるが、漢字の読みまで残されることは稀である。例えば戦国時代の浅井氏を「あさい」と読むか「あざい」と読むのかは未だに決着がついていない。都農というマイナーな土地の地名の読みまで残っていたとは思えない。40点もの文献全てに読みまで記されることはないだろう。ルビをみて勘違いしたのだろう。

 また都農の字の起こりを平安時代初期としているが、続日本紀に都濃の記載があることから遅くとも奈良時代には知られていただろう。漢字の当て方も都農ではなく都濃であった。