都農とヤマト政権
古代における都農とヤマトとの繋がりをまとめたメモ書きのようなものです。いよいよ記事がネタがなくなってしまった...
①古墳
都農の海岸沿いに前方後円墳が2基確認されている。前方後円墳はヤマト政権の広がりを示す典型的なメルクマールだ。
②神話
都農神社には、神武天皇が東遷の折に立ち寄ったという。また神功皇后が新羅征討の際航海の安全を祈願したという記述もある。
尾鈴山にある矢研の滝には神武天皇(記述によってはニギハヤヒ)が矢を研いだという記述がある。また矢研の滝の上流にはニギハヤヒが乗ってきたと云われる天磐船がある。
③史書
続日本紀や延喜式の中に都農神社が叙位されたという記述がある。日向国内では最も高い位につけられ、日向国の一宮となっている。
官道の駅として記述のある「去飛」は都農が比定されている。
延喜式内に登場する都濃野という馬牧は都農だと思われる。
④その他
秦河勝が奉納したという神面が都農神社にあったようだ。大友宗麟が日向国に侵攻を行った際にこの神面を避難させたという記述がある。秦河勝は渡来系の一族である秦氏の一人で、聖徳太子(厩戸皇子)の側近として活躍したと言われている。
三輪姓が都農神社近辺に集中していることから、三輪氏の移住があったと思われる。
明治末の都農の地図で吉備津神社跡が木戸平に確認された。吉備津神社は吉備氏の神社である。吉備氏は岡山一帯に勢力をもっておりヤマト政権とも戦った。8世紀に活躍した吉備真備が有名。