ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農への思い

 そろそろ記事のネタがなくなりつつある。東京にいると親に聞き取りするか、町史を読むかぐらいしか都農調査に関してはすることがない。一番興味を持っているのは日本政治思想史なので、民俗学系の本はその片手間に読んでいるだけで、なかなか読み進められない。良いネタや記事にして欲しいことがある方がいれば、コメントしていただけると嬉しいです。

 

 さて今回の記事だが、何故本ブログを始めたのかにも関わってくる内容なのでいずれ記事を書かなければと思っていた。ところがいざ書こうと思ってもなかなか書けない。

色々思案してみるのだが、都農に対し強い思いを持つに至った説得力のある理由が見つからない。そのためまとまりのない文章になってしまったのだが、ご理解いただきたい。

 一番大きいのは郷愁の念だろうか。辞書を引くと郷愁には2つの意味がある。一つは故郷をなつかしく感じる気持ち、もう一つは古いものを懐かしむ気持ち。

 生まれは高鍋で(都農に産婦人科がなかったため)、育ちは東京なのだが、都農を故郷だと思う気持ちはどこかにある。というのも小学校の高学年になるまでは、毎年春と夏に都農に帰っており、その期間も2週間ほどと長かった。学年が上がるに連れて学校の友達と遊べなくなることを不満に思い、帰ることを嫌がったが、帰ったら帰ったで海やら川やらに連れて行ってもらって楽しんでいた。またいとこたちが遊び相手にもなってくれていた。都農はそういった楽しい思い出がある場所でもあった。

 東京の今住んでいる家には愛着もあるし、帰属意識もないわけではないが弱い。方言や豊かな自然といった都会にはないものに対する憧れがあるのだと思う。都農に帰ると周囲は宮崎弁しか話さない。幼いころから聞いているからか理解は出来るのだが、自分から宮崎弁を話そうとするとぎこちなくなってしまう。方言を話せるようになりたいなと思う。また都農は山にも海にも近く豊かな自然がある。東京に住んでいると山は遠く、海はあるが人工的な感じがする。

 郷愁の2つ目の意味古いものを懐かしむ気持ちだが、都農が古臭いだとかそういう意味ではない。祖父母はかなり古い価値観を持った人で、それが子供のころは嫌だったが、少し大人になってくると懐かしくなってくる。また都農の思い出の多くは子供のころのもので、そういった意味でも懐旧の念がある。

 あとはやはり民俗学に関心を持ったことも大きいだろう。柳田国男やら宮本常一の本を好んで読むのだが、そのうち自分でも何か調べて見たくなってくる。そうなった時に縁があって調査もしやすい地というのは大きい。

 

 結局危惧していたようにまとまりのない内容になってしまったので、あとで修正しようと思う。