ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

都農

都農の方に聞きたいこと 改訂版

以前も同様の記事を作成したのだが、半年以上経って聞きたいことも変化したので、改めて作ることにした。 各質問に関連した記事を質問の下にリンクしたので、興味のあるかたは覗いてみてください。 これらの質問以外の関することでも何かありましたら、コメ…

都農町の誕生

1、明治維新後 1869年の版籍奉還に伴う藩政改革で現在の都農町に属する地域は川北郷と都農町とされた。都農町は商店街がある地域一帯で、川北郷はそれ以外の地域だと思われる。 その後同年10月には北庠という名で両地域は統一される。翌年にはまた北…

都農の歴史⑦ 戦後

1、戦後 戦後都農への復員者は約1300名、引揚者は約700名と合計2000名が都農に帰ってきた。しかし当時の日本は国土の荒廃と食糧難、激しいインフレに悩まされており、都農もその例外ではなかった。そのため長野、牧内、都農牧場へ入植が進められ…

都農の歴史⑥ 近代 大正・昭和前期

1、大正時代 大正9年に都農は村から町へと移行する。都農は児湯郡内でもっとも有権者数が多く、人口も川南と僅差の二番目であった。(町史では人口が郡内で一番とされているが誤記だと思われる。) さらに大正10年には日豊本線が都農まで延び、商業、農…

都農の歴史⑤ 近代 明治

1、明治維新の影響 1868年の明治維新から2年後には版籍奉還が行われたものの、実体は以前と変わらなかった。しかし版籍奉還から2年後の廃藩置県により名実ともに藩政が廃止される。その後都農は美々津県→宮崎県→鹿児島県→宮崎県という経過をたどる。…

都農の歴史④ 近世

1、江戸時代 都農は江戸時代一貫して、高鍋藩秋月氏の支配下に置かれる。 日向国高鍋領郷村高辻帳(1711年)には現在都農町に属する村々が挙げらている。寺迫村・征矢原村・長野村・瓜生村・岩山村・篠野別府村が記載され、石高は合計すると1983石…

都農の歴史③ 中世

1、鎌倉時代 日向國図田帳(1197年)によると、都農は殿下御領と呼ばれる藤原氏の荘園であり、「新納院百二十丁、右児湯郡内地頭掃部頭」に含まれる。新納院とは都農を含む荘園の名で、木城・高鍋・都農・川南を中心とした地域を指す。掃部頭とは源頼朝…

都農の歴史② 古代

1、中央政府との関わり 律令制が整備されていく中で、国郡里制が施工された。和名類聚抄(931~938年)には児湯郡都野という記載がある。 都農には駅(伝馬の設置場所)が設置されていたと思われる。都農の草書とよく似た「去飛駅」が都農駅に比定さ…

都農の歴史① 原始時代

都農の歴史について簡潔にまとめていく。参考資料は主に都農町史1998年になります。 1、縄文時代まで 縄文時代は温暖な気候で、宮崎の海岸付近では現在よりも5~10mほど海水面が高かったことが予想される。したがって現在の都農の中心部は海で、国道1…

戦時下の都農

まずは都農の戦時下について町史に書かれていることを簡単に書く。 都農は隣の川南に空挺部隊の演習場があった影響で、野営地の一つとなっていた。都農からも多くの兵士が徴集され、都城連隊に編入されて中国、フィリピンなどを転戦した。また沖縄県の糸満市…

都農のゲストハウス

都農駅がリニューアルしたそうだ。8月になれば夏休み入るので、ジオラマも見に行ってみたい。 都農駅がリニューアルしました - 日々の都農 都農にはあまり宿泊施設が多くない、最近出来た国道沿いにあるホテルAZと駅前の亀屋、町中の大黒屋のみである。 私…

郡衙

三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」に興味深い話しが載っていた。以下は太字は引用 ※ある識者の説 滝神社の近くには、弥生時代の竪穴式住居跡の一部が確認された境ヶ谷遺跡、古代土器の出土を見た京塚、黒石などの遺跡が存在しており、ある識者は、不…

日向国都農町史

「日向国都農町史」,都農町教育委員会, 1955年 1998年に発行された都農町史の一個前のものにあたる。現在の都農町史に比べると薄く、200ページにも満たない。記述には推論や確証のない話が多く、現在の都農町史に載っていない内容が多い。その意…

耳川の戦いと都農

耳川の戦いは、最近は小丸川(高城)を耳川と誤記したのではないかということで高城川の戦いとも言う。都農でも激戦があったようだ。 まず大友軍の南下を島津軍が都農で迎撃したのだが、すぐに破れ大友軍は高城まで進軍した。恐らくその際都農神社が焼き払わ…

都農の諸神社 その二

今後は5日に一度の更新という形で、定期的に更新していこうと思います。 1.瀧神社 ワイナリーに行く途中にあります。かつては都農神社の奥宮であったようです。その名の通り、社殿の裏に滝があります。滝といっても水量は少なく水が滴り落ちる程度です。 …

都農の諸神社 その一

都農には日向国の一宮たる都農神社がありますが、それは以前書いたので、今回は都農にある小さな神社について記事にしました。 三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」は大変が参考になった。ファイルをまとめたような形であったので恐らく出版はされてい…

都農でしたいこと

来月の半ばに都農でしたいことを書き出しておきたいと思います。半分メモ代わりです。したいことが増え次第追記します。 ・都農牧神社訪問 都農牧神社の岩山が都農神社の御神体であったのではないかと考えているので、訪れて確認してみたい。 ・尾鈴神社訪問…

湯ノ本

都農には湯ノ本という地名がある。(墓のあたりです。)都農は岩盤が硬く分厚いため、温泉が湧かないのですが、このような地名があるわけです。何故なのかと思い調べてみると、二つの説が見つかりました。 一つは広報つの2015年10月号p21に載っているもので…

第6次都農町長期総合計画

都農町は2020年に町制施行100周年を迎える。それにあたっていくつかの事業が計画されているようで、その計画についてのパブリックコメントの募集がされている。 第6次都農町長期総合計画(素案)に係るパブリックコメントの募集について|都農町 150…

勘十爺の頭 ※追記あり

新年あけましておめでとうございます。2017年も最低週に1度はブログを更新できるよう努めたいと思います。 都農では「勘十爺の頭(を結う)」という独自の方言がある。私は全く聞いたことはなく、私の親世代も聞いたことがあるものの意味まで把握出来ていな…

都農高校

都農高校の閉鎖が決まった。以前から閉鎖の話しはあったのだが、正式に決まったようである。 学区制の時代は賑わっていて、都農中学からは半数ほどが都農高校に進学していた。残りの半分は同学区にある高鍋高校に進学しており、私の親も高鍋高校であった。し…

県議会の話し

更新頻度が落ちてしまって申し訳ない。やはり都農に帰らないと調べられないことが多く、東京では出来ることは少ない。とはいえ民俗学の本は読んでいて、今学期からも新たに民俗学関連の授業をとっている。(私の大学では昨年度から4学期制をとっているので…

ふるさと納税

ふるさと納税の時期がやってきた。私自身はまだ親の扶養に入っているのでふるさと納税をするということはない。しかし親はふるさと納税をするようだ。 都農はふるさと納税に力を入れているようで、トマトから牛肉、ワインまで幅広い物産を取り扱っている。詳…

ニギハヤヒ

以前都農神社の祭神について書いた記事において都農神社の祭神は大物主ではないかという考えを示したが、考えを改めたので新しく記事にした。考えれば考えるほどよくわからなくなるので、暫定的なものと思って読んで頂きたい。 まず都農神社の現在の祭神は大…

都農の磐座信仰

大神神社に行ってきて色々と考えが変わったので、改めて記事を書きたい。 以前は都農に移住してきた三輪氏が都農にある尾鈴山を三輪山に比定したのではないかと考えていた。しかし三輪山を訪れたところ、尾鈴山と似ても似つかぬ山であった。そのため以前の考…

吉備津神社について

都農町史に付属している明治末の地図によると木戸平に吉備津神社跡があったということが記されている。江戸時代には村社として信仰を集めていたようだ。戦後に木戸平神社として合祀されたという記述があるのだが、どこにあるのかわからない。 吉備津神社は吉…

都農の方に聞きたいこと

都農の方に聞きたいことをまとめてみました。 このブログを都農町民の方が見てくださっているのかはわかりませんが、もし見てくださっている方がいて、以下のことについて何か知っていることがあるのであれば、教えていただけると嬉しいです。

都農の読み

都農を「つの」と呼ぶか「つのう」と呼ぶかについてのコラムが広報つのに掲載されていた。 広報つの|都農町 2011年3月号 都農(つの)を以前は「つのう」と呼んでいたという話しを夏に帰ったとき聞いたのだが、一人からしか聞くことが出来なかったので…

祖父母の話し

前回の記事の続きのようなものである。 まずは祖父の話し。祖父は都農の家で生まれ、育ち、亡くなった。曾祖母に相当甘やかされて育ったらしく、お坊ちゃま気質であった。中学を出た後は家業の馬車屋を継いだが、継いだときには経営が傾いていた。そのため祖…

都農の家の話し

都農にある祖父母の家について記事を書いてみようと思う。興味がある人はいないと思うが 笑 比較的珍しい名字で全国にも1000人もいない。秋月家に仕える臣下が名乗った名字のようだ。宮崎、福岡に見られる。 家に家系図があるような立派な家ではないので…

地域おこし協力隊 ※追記あり

都農が地域おこし協力隊を募集している。出来ることならば参加したいが、応募条件にある都農に生活拠点を移すことというのが厳しい。将来的に田舎に移住することも選択肢の一つとして考えているが、大学卒業してすぐに移住するのはまだ早い。 地域おこし協力…

縮小ニッポンの衝撃

25日の夜のNHKスペシャルで縮小ニッポンの衝撃という番組が放送された。以下のリンクでは放送の内容が良くまとめられているので、興味のある方は参照していただきたい。 news.mynavi.jp 以前の「増田レポートと都農」という記事でも書いたが、都農町も近い…

都農とヤマト政権

古代における都農とヤマトとの繋がりをまとめたメモ書きのようなものです。いよいよ記事がネタがなくなってしまった... ①古墳 都農の海岸沿いに前方後円墳が2基確認されている。前方後円墳はヤマト政権の広がりを示す典型的なメルクマールだ。 ②神話 都農神…

都農神社の御神体

都農神社の本来の御神体とは何だったのであろうか。町史や都農神社の方に記載がないため、現在の御神体は何なのかよくわからない。 ただ1578年に都農に大友宗麟の軍勢が乱入した際に御神体を矢研の滝近くまで避難させたとの記述や、1878年の西南戦争…

都農への思い

そろそろ記事のネタがなくなりつつある。東京にいると親に聞き取りするか、町史を読むかぐらいしか都農調査に関してはすることがない。一番興味を持っているのは日本政治思想史なので、民俗学系の本はその片手間に読んでいるだけで、なかなか読み進められな…

都農の地蔵

湯の本にある都農の町営墓地の側に地蔵がある。都農には小さな地蔵がたくさんあるのだが(これについてはいずれ記事を書く)、ここの地蔵は子の健やかな成長を願うものである。 地蔵に子の健やかな成長を願い、よだれかけを奉納するのは全国的によく見られる…

椎葉村(追記あり)

椎葉は都農の人からみても田舎というイメージがあり、勝手に魔境のようなイメージを持っていた。実際日本三大秘境にも選ばれているようだ。祖母が材木を見に行ったことがあるぐらいで、周囲に行ったことがある人もあまりいなかった。しかし民俗学の聖地とも…

都農の祭り

都農の祭りは県内でも有名で、都農の人たちも誇りを持っており、毎年楽しみにしている。私もここ数年行っていないが、祭りの時期にいとこ達がやってくるのもあって小さい頃は楽しみにしていた。 神功皇后が都農神社で新羅征討の祈願をしたという伝承に基いて…

ひょうすんぼについて

当ブログの名前にもなっている「ひょうすんぼ」は、都農あたりでは河童を指す。ひょうすんぼ(ひょうすべ)という呼び方は宮崎・佐賀を中心に九州一帯で見られるようで、兵主部が語源など諸説ある。ナスが好物だったり、毛深かかったりとカッパとは違った特…

増田レポートと都農

増田レポートというセンセーショナルなレポートが2013年の末に公開された。同レポートは元岩手県知事で先の都知事選にも出馬した増田寛也氏を中心としたグループが中心となって発表したレポートで、地方創生の議論に大きな衝撃を与えた。 内容を要約すると、…

尾鈴山について

都農といえば何を思い浮かべるだろうか。ワイナリーや都農神社、尾鈴山あたりだろう。最近だとトマトも有名だ。つのぴょんという最近出来た謎のゆるキャラの頭の上に全て乗っかっている。 」 つのぴょん紹介 そんな都農の顔とも言える尾鈴山が、山の方を眺め…

都農神社と三輪氏

明治末の都農町の地図を見ていると、都農神社周辺に三輪姓が集中している。他の地域にも三輪姓はいるものの、都農神社周辺にだけ明らかに密度が高い。 三輪 - 苗字でポン! ネットの電話帳 2012 三輪氏といえば大和の一宮である大神神社でも有名であり、日本…

「都農」の由来について ※追記

都農(ツノ)という地名を見てどんなイメージを持つだろうか。 漢字を素直に解釈すれば「農(業)の都」。いかにも地方の田舎町という感じだ。実際、漢字の意味が大まかにわかってきた子供のころの私も田舎っぽい名前だと思った。 そんな地名はどのようにし…