ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

歴史・民俗

南原繁と折口信夫 その一

ネタが尽きつつあるので、論考を。 南原繁は戦後最初の東大総長を務めた政治学者である。一方で折口信夫は民俗学者である。両者はかなり異なる背景を持ち、対談などといった形で積極的な交流を持たなかったと。しかし両者とも同じ時期に同じようなことを考え…

古代日向の国

「古代日向の国」 西都原古墳研究所所長 日高正晴、1993年、NHK BOOKS Amazon CAPTCHA 古代日向の国がタイトルではあるが、内容の中心は児湯地域となっている。西都原古墳研究所所長が著者ということもあって西都贔屓な記述なのではないかと感じなくもな…

郡衙

三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」に興味深い話しが載っていた。以下は太字は引用 ※ある識者の説 滝神社の近くには、弥生時代の竪穴式住居跡の一部が確認された境ヶ谷遺跡、古代土器の出土を見た京塚、黒石などの遺跡が存在しており、ある識者は、不…

延岡の諸神社

1.三輪神社 三輪氏の痕跡が見られる地ということで行ってみた。五ヶ瀬川沿いに延岡市街地から登っていき、ちょうど高速の下のあたりにある。祭神は三輪系ということで大己貴命である。 神社そのものは地域にある普通の神社という感じがしたが、この地は下三…

日向国都農町史

「日向国都農町史」,都農町教育委員会, 1955年 1998年に発行された都農町史の一個前のものにあたる。現在の都農町史に比べると薄く、200ページにも満たない。記述には推論や確証のない話が多く、現在の都農町史に載っていない内容が多い。その意…

西都について その2

1.石貫神社 西都の市街地から米良方面に少しはずれた地にある。この周辺には神話の伝承地が密集している。地区名が三宅となっているのだが、ヤマト政権の直轄地であった屯倉がその由来だと思われる。このことがその密集と関係しているのだろうか。 石貫の…

耳川の戦いと都農

耳川の戦いは、最近は小丸川(高城)を耳川と誤記したのではないかということで高城川の戦いとも言う。都農でも激戦があったようだ。 まず大友軍の南下を島津軍が都農で迎撃したのだが、すぐに破れ大友軍は高城まで進軍した。恐らくその際都農神社が焼き払わ…

川南の諸神社

1.白鬚神社 木城との境にある。浦島太郎が最後にたどり着いたという伝承も残されている。余談だが、都農の明田にも浦島太郎伝説が残されている。御神体は後ろにある山で、修験者の修行場となっていたという。 白鬚神社の総本山は琵琶湖畔にある。宮崎市内…

米良について

米良にはもともと東米良と西米良が存在し、東米良は現在西都市に属している。西米良は現在も西米良村として存続し、山奥にありながらも一風変わった村政で人口現象を食い止めている。 1.銀鏡(東米良) 米良街道からそれて山道を10キロ弱行くと銀鏡地区…

都農の諸神社 その二

今後は5日に一度の更新という形で、定期的に更新していこうと思います。 1.瀧神社 ワイナリーに行く途中にあります。かつては都農神社の奥宮であったようです。その名の通り、社殿の裏に滝があります。滝といっても水量は少なく水が滴り落ちる程度です。 …

都農の諸神社 その一

都農には日向国の一宮たる都農神社がありますが、それは以前書いたので、今回は都農にある小さな神社について記事にしました。 三輪貞夫さんが編集した「神社探訪 都農」は大変が参考になった。ファイルをまとめたような形であったので恐らく出版はされてい…

備忘録

色々お話しを伺うことが出来たので、それについての備忘録です。 1.都農の夏祭りについて 2階から御輿を見下ろすのは失礼とされた。 昔は朝浜まで塩を採りに行き水を撒いていたそうだが、なくなってしまった。 都農の祭りの見どころである御輿のぶつけけ合…

網野善彦について

網野善彦の研究領域はもし分類するならば、歴史学となるであろうが、民俗学にもかなり近い。民俗学的な研究が歴史学に反映されたかたちとして興味深い。 民俗学についての記述が多いのは以下の「宮本常一『忘れられた日本人』を読む」であろう。非常民に注目…

「山民」と「山人」の混同

柳田国男はいくつかの著作で「山民」と「山人」という言葉を用いていますが、この両者を混同してしまったかたは多いのではないでしょうか。私も最初に読んだ時は混同してしまい、柄谷行人さんの「遊動論」を読んで両者の違いに気付きました。 今回は「山民」…

問題意識

自分の中の問題意識の一つとして格差というものがあります。共産主義的な思想を持っているからでも、搾取だなんだと喚き散らしたいからでもなく、ただ単に中産階級の減少による社会の不安定化を危惧しているだけです。 そういう背景で注目したのが「協同自助…

湯ノ本

都農には湯ノ本という地名がある。(墓のあたりです。)都農は岩盤が硬く分厚いため、温泉が湧かないのですが、このような地名があるわけです。何故なのかと思い調べてみると、二つの説が見つかりました。 一つは広報つの2015年10月号p21に載っているもので…

親分子分③

親分子分②の続きになります。 今回は更に踏み込んで親分子分を中心とした社会形態がどういった倫理意識をもたらし、それがどういう結果となったのか考えていきます。考えなければならないことが多く、まだ試論の段階なので、かなり荒い議論となっていますが…

檜枝岐村

また新日本風土記の話しです。最近この番組の存在を知ったばかりですが、気に入って毎週見ています。2月10日に再放送されるということで取り急ぎまとめました。親分子分③は、後日更新します。 檜枝岐村は奥会津に位置する村ですが、ここも椎葉と同様に柳…

親分子分②

前回の記事で見たように親分子分の論理というのは日本の社会に深く根ざしているわけです。それは日本社会に良いものも悪いものももたらしました。 先に良いものの方を取り上げると、養子制度によって血縁に縛られず能力による登用が可能になったという点で、…

親分子分①

前回の更新からかなり時間が空いてしまった。3週に渡って続いた期末試験がやっと終わったので、これからはちゃんと更新出来るようにします。 今の日本でオヤと言った時それは血縁的な親を意味することが大半である。しかし柳田国男によれば以前の日本はそう…

レヴィ=ストロース講義録

レヴィ=ストロースは文化人類学者の中でもっとも有名な人物といっても過言ではないであろう。また構造主義を論じた人としても知られる。氏は日本の文化についても造詣が深く、柳田国男や本居宣長らの著作も読んでいるようです。今回はそのレヴィ=ストロース…

遠野訪問記

今回の記事は遠野物語で有名な遠野の訪問記である。もっとも訪れたのは昨年の2月なので、日記を見て思い出しながら書いている。 花巻からは釜石線に乗り一時間ほどで遠野駅に着く。遠野駅はかなり立派な駅であった。駅舎には屋根があり、駅員もいる。無人の…

民俗学の漫画

年が明けてからアクセスが5倍ほどに増えている。多くの方に読んでいただけるのはありがたいです。ただ試験期間中で余裕がないので、あと二週間ほどは書き溜めておいた記事の投稿になってしまいます。すみません。 あらゆるジャンルの入り口として漫画は有用…

「協同自助」の思想について

以前書いた「遊動論」についての記事の続きのような内容だが、自分の中であまり確証を持てておらず、かなり雑な議論を展開をしているので、メモ書きだと思って読んでいただけると嬉しいです。(期末試験の勉強の妨げにならないよう、もやもやしたものをとり…

同等一栄 ※追記あり

昨日1000アクセスを突破しました。このブログを読んで都農に興味を持ってくださった方がいたら嬉しいです。 ※再度見直したので「同等一栄」について書き直しました。 昨日NHKの新日本風土記という番組を見ていたところ興味深い話しがなされていたの記事…

勘十爺の頭 ※追記あり

新年あけましておめでとうございます。2017年も最低週に1度はブログを更新できるよう努めたいと思います。 都農では「勘十爺の頭(を結う)」という独自の方言がある。私は全く聞いたことはなく、私の親世代も聞いたことがあるものの意味まで把握出来ていな…

「九州南部地方の民風」について

柳田国男の初期の著作「九州南部地方の民風」において都農近辺のことが言及されているのだが、いくつか気になる点があったので触れておく。 以下引用 宮崎もまた純然たる新開地の町でありまして、土語方言というものだなく、諸国語の混合であります。この土…

「遊動論 柳田国男と山人」②

前回の記事の続きです。 さて、柳田の椎葉村=ユートピア論であるが、立論の時点を彼が訪村した明治四十一年七月以降と仮定して考察する。というのは、資料6と7で実証したように、少なくとも十八世紀中葉(寛永四年)における焼畑共有地配分には歴然たる格…

「遊動論 柳田国男と山人」①

柄谷行人の柳田国男論には大きな影響を受けた。しかしながらこれについては自分なりの批判もある。そこで「遊動論」についての批評を書いて行きたい。量が多いので2回にわけて書こうと思う。今回は「遊動論」のベースにある「協同自助」の思想についての理…

日吉神社の八王子山

先日滋賀県にある日吉大社に行った時の話しである。西宮、東宮への参拝を済ませ、1キロほどの急な坂道を登り奥宮に辿り着いたところ、あるおばさんに声を掛けられた。この先にご利益のある場所があるのだけれど、道が整備されておらず一人で行くのは怖いの…