ひょうすんぼ

宮崎の田舎町、都農町についてとその他色々

湯ノ本

 都農には湯ノ本という地名がある。(墓のあたりです。)都農は岩盤が硬く分厚いため、温泉が湧かないのですが、このような地名があるわけです。何故なのかと思い調べてみると、二つの説が見つかりました。

 一つは広報つの2015年10月号p21に載っているものです。この記事によれば、湯ノ本はもともとは秋野という地名だったそうです。それではいつ変わったのかというと、明治に入って都農の測量を任された後藤正淑さんという方が勝手に名付けたということです。 

 この後藤さんは勘十爺から秋野の土地を譲ってもらったという話しが次号に載っています。以前書いた勘十爺の記事に追記したので、興味がある方がいたら読んでいただけると嬉しいです。

広報つの 2015年10月号 p21

http://www.town.tsuno.miyazaki.jp/display.php?cont=151207135717

 

 もう一つは「宮崎の伝説」に載っていたものです。

 むかしこの地の川に温泉が湧いていた。ある日のこと、旅の乞食が来て、「湯銭を出すから湯に入れてくれ」と頼んだところ、村の人は断った。するとその温泉がたちまち冷泉に変わってしまったという。湯之本の塩月タツ子さんは汚い旅の坊さんが来たので、「これは水じゃ。これに入ると風邪をひくぞ」と言った。それから、坊さんが立ち去るとすぐに冷たい水になってしまったと語ってくれた。いまは温泉の跡もなく、その川は三方セメントの井堰になっている。

(「宮崎の伝説 第Ⅳ期」,比江島重孝、竹崎有斐,角川書店,昭和54年)

 

 この本によれば湯ノ本ではもともとはお湯が出ていたのだが、僧あるいは乞食に湯を貸さなかったために湯がわかなくなったということである。こういう話しの類型というのはよくあるもので、例えば日向のお倉ヶ浜と金ヶ浜の伝説も同じ類型だ。また話しの書きぶりからして、塩月タツ子さんはこの話しを聞いた当時健在であったようで、これがかなり最近作られた話しだということがわかる。

 いったいどちらが正しいのかと言われたら詳細もはっきりしている前者の方だと思うが、後者の話しも面白いとは思う。

※後者の話しを知っている人に直接話しを伺えたのだが、前者の話しは知らず後者の話しが正しいと語っていた。

 もし詳しい方がいたらご教授いただけると幸いです。

第6次都農町長期総合計画

 都農町は2020年に町制施行100周年を迎える。それにあたっていくつかの事業が計画されているようで、その計画についてのパブリックコメントの募集がされている。

第6次都農町長期総合計画(素案)に係るパブリックコメントの募集について|都農町

 

 150ページほどのオールカラーの資料で、予想以上に充実した内容となっていた。私は農業・商業や社会政策についての知識も乏しければ、経験もないので特に建設的なコメントが出来ない。

 一点目を惹いたのは、都農の歴史や民俗的な資料を見学出来る施設建設の検討である。都農単体では小規模なものになるであろうし、建設されるかどうかもわからないが期待したい。

 

 一応法学部なので、パブリックコメントについて述べておきたい。

 パブリックコメントは平成11年の閣議決定で導入された。そしてその実績を踏まえ、平成17年の行政手続法改正の際に意見公募手続としてルール化された。この意見公募手続の対象となる「命令等」に今回の計画は該当しない。そのためパブリックコメントを求める義務はない。

 今回の計画についてのパブリックコメントの募集期間は2月11日から2月28日と18日間に設定された。しかし行政手続法39条3項では、意見提出期間を公示の日から起算して30日移譲でなければならないとしている。30日を下回る意見提出期間も設定も可能だが、やむを得ない理由とその明示が必要となる。もちろん今回の計画が「命令等」に該当しない以上、行政手続法に則った手続きを行う必要性はないが、社会通念から判断しても、募集期間を最低でも30日に設定したほうがよいのではないかと思う。

 

親分子分③

 親分子分②の続きになります。

 今回は更に踏み込んで親分子分を中心とした社会形態がどういった倫理意識をもたらし、それがどういう結果となったのか考えていきます。考えなければならないことが多く、まだ試論の段階なので、かなり荒い議論となっていますがその点ご理解ください。

 

 「日本における倫理意識の執拗低音」丸山真男 (必要な部分の要約)

 日本神話から動機の純粋性を「善」とする傾向が読み取れる。「きよくあかき」と「きたなき」という言葉の用法に注目。ヤマトタケル熊襲平定をその例とする。集団的功利主義的な価値判断。

 

 親分子分を中心とした社会の価値判断はどのように行われるのか。自分にとってどうであるかよりも、自分が所属する親分子分の集団への利益で考えるであろう。それが丸山の指的するような集団的功利主義的な価値判断を生み出したと思える。

 

 「超国家主義の論理と心理」丸山真男 (必要な部分の要約)

 「超国家」とは、心理や道徳などの価値が個人の良心に委ねられず、国家がその究極的実体として存在することをいう。「私事」と「公」の線引きがない日本の場合、国家が個人の内面に介入すると同時に、私的利害が国家の内部へと無制限に侵入する。

 戦前の日本の場合は天皇に絶対的価値が体現していた。天皇のいかなる行動も正義となり、権力は倫理的に粉飾される。そしてそこでは天皇との距離が価値基準となる。国民は天皇天皇へより近い者の心情を推し量って行動するため、責任意識がない。その中で上からの抑圧を下へ移譲する。

ただ天皇も主体的な行為者であるわけではない。また天皇の権威自体は伝統によるものである。

 

 そして天皇を究極的な親分。すなわち親分の親分として捉えるとどうなるか。

戦前の日本は親分子分の体系の延長線上の国家であったといえ、それは丸山が述べるような無責任の体系を内包するものであった。

 そうすると親分子分関係を中心とした社会が天皇ファシズムをもたらしたのだとも考えられる。思えば親分子分①で例に出したイタリアでもスペインでもファシズムは成立している。

 親分子分の関係は前近代的な国家には適合しうるものであったのかもしれないが、以上で見てきたように近代国家にはそぐわないものであった。

 親分子分という関係性は消滅しかかっているとはいえ、その中で生れた倫理意識は我々の中に未だ根付いている。その倫理意識と向き合う必要性があるのではないかと思う。

 

 このような試論をすることで何がしたかったのかというと、親分子分を原理とした社会とそこから生み出される意識を用い、丸山の主張のいくつかを体系化したかったのだ。浅い理解しか出来ていないので詳しくは述べないが、丸山は武士のエートスにも関心を持っていた。そういった武士のエートスもこの親分子分の関係から生れてきたのではないかと考えている。

 このように親分子分の概念を用いれば、日本の思想的な特性の根源がどこにあるのか明らかに出来るのではないか。そういう思いが私にはある。

檜枝岐村

 

 また新日本風土記の話しです。最近この番組の存在を知ったばかりですが、気に入って毎週見ています。2月10日に再放送されるということで取り急ぎまとめました。親分子分③は、後日更新します。

 檜枝岐村は奥会津に位置する村ですが、ここも椎葉と同様に柳田国男桃源郷として紹介されているそうです。この村の民俗誌には、貧富の差がなく皆が中肉中背だと書かれていると紹介されていました。

 椎葉ともう一つ共通する点があります。それは平家の落人が逃れて来たという伝説がここにもあるということです。平家の落人伝説はありきたりで、言ってみればどこにでもあるものなのですが、この村が興味深いのは、村民の言葉に訛りがない点です。福島の訛りはきつく、東京に来てもなかなか抜けないなどと言われているにもかかわらず、この地の人の話し方は標準語のそれと同じで、アクセントに癖がありません。平家かどうかはともかく落人が形成した村なのかもしれないと思わされました。

 椎葉の方はというと、かなりきつい訛りがあります。役場のある中心地区の方と話す分には普通の宮崎弁とさして変わらず問題ないのですが、十根川地区の方と話したときまるで聞き取れずに驚いた記憶があります。もっとも親は普通に会話していたので、私の耳が遠かっただけかもしれませんが。

新日本風土記

親分子分②

 前回の記事で見たように親分子分の論理というのは日本の社会に深く根ざしているわけです。それは日本社会に良いものも悪いものももたらしました。

 先に良いものの方を取り上げると、養子制度によって血縁に縛られず能力による登用が可能になったという点で、同時代の西欧の家産官僚制に比べ日本の江戸時代の家産官僚制は優れていたという研究があります。また地方の親分が行き過ぎた中央集権化を防いたという面もあるでしょう。

 しかし親分子分の制度には良くない側面もあります。

 

 顔役は多数の常の心なき者が、今でも必要として大切に守り立てている者である。彼等の任侠は瀕々に人を救ったのみならず、その幾分か並よりも発達した常識は、暗々裡に周囲の生活の基準ともなっている。ひとり恩義の拘束を受けている者だけでなく、平生からその力を知って尊重している者は、迷うて決しかねる問題のあるたびに、いつもその向背をもって参考としようとしている。ことに世間並と御多分に洩れぬということを、安全の途のごとく信じている者には、あたかも魚鳥の群が先に行く者に率いられるごとく、自然に一団となって動かずにはいられなかった。だから普通選挙が選挙人の数を激増し、自由な親分圏外の人々に投票させてみても、わずかな工場地帯の別箇の統制を受けるものの他は、結果はだいたいにおいて、以前と異なるところがなかった。 (柳田国男, 親分割拠 『明治大正世相篇』より)

 

 柳田国男が指摘するように親分子分の関係性が民主主義の発展を妨げているというわけです。

 この点については丸山真男が別の観点から更に踏み込んだ見解を示しています。

 

 日本で特に注意されねばならないのは国家権力の暴力性が問題にされないという事実だ。国家権力だというだけで神聖視してしまう傾向が強い。日本に於て暴力という言葉は常に民衆の側に対してのみ言われるが、暴力は誰が行使しても暴力なのだという事を、国民は肝に銘じて置く必要がある。

 露わに行使された暴力は誰の目にも判断がつく。非常に判別が困難で従って我々が特に警戒せねばならないのは、種々な形での心理的強制である。例えば日本のように身分的な上下関係が常に人間的な平等の観念に優位する傾向のある所では、ただ長上者又は上司の一つの目つき、一つのものごしだけで、事柄の理非を問わずにその意志が強行される場合が少なくない。

 こういう強制力は表面には見えない。然(しか)もしばしば外見的にはデモクラティックな手続をとって現れる場合が多い。例えば会議の際に各人が内面の確信によって意見を述べるのではなく、その中の権威者・勢力者の意見を先回りして予測し、これに迎合した意見を述べる傾向がある‥。こういう暗々裡に行使される暴力は、露わな暴力よりも目につかないだけに、ある意味では民主主義にとってより多くの敵である。ボスや顔役の支配は結局ここに心理的な根源を持っている。…

 戦後の日本社会の民主化政治犯人の釈放から財閥解体農地改革に至るまで-が国際的な圧力をもってしなければ遂行されなかった事を見ても、いかに日本の反動勢力が根強く、これに対する民主主義的な抵抗力がいかにひよわいかが判る。左の暴力だけが強く目に映ずるのは一つにはジャーナリズムのセンセーショナルな報道のためであるし、又一つには露わな暴力は感知しても隠れた暴力には平気で屈服する日本人の意識による事が大きい。日本の社会の封建的基盤を一掃することが、右、左、中間、いかなる暴力をも根絶する唯一の道である。

丸山真男, 丸山真男集⑯「"社会不安"の解剖」)

 

 丸山が指摘するように「身分的な上下関係が常に人間的な平等の観念に優位する傾向」がボスの言うことが事柄の理非よりも正しいという価値観を生み出し、ともすれば国家権力の暴力を肯定することに繋がってしまうわけです。

 

 長くなったので、一旦ここで切って続きをまた書きたいと思います。次回の記事では丸山真男の「日本における倫理意識の執拗低音」や「超国家主義の論理と心理」について触れるので、少しでも興味がある方がいたら読んでいただけるとわかりがいいかもしれません。前者は古事記日本書紀、江戸時代の儒学の知識が少々必要で、後者については文章そのものが難解ですが、読み応えはあるかと思います。

親分子分①

 前回の更新からかなり時間が空いてしまった。3週に渡って続いた期末試験がやっと終わったので、これからはちゃんと更新出来るようにします。

 

 今の日本でオヤと言った時それは血縁的な親を意味することが大半である。しかし柳田国男によれば以前の日本はそうではなく、オヤは労働組織としての親分子分のオヤを言うのが一般的であったという。オヤは血縁的な親のみを意味するのではなく、親分や仮親を意味していた。コもまた同様に労働組織としてのコであった。こういったオヤコ関係が存在していたからこそ、日本では仮親関係を軸とした養子や、親分子分の関係が発達したとされます。

 以前書いたような気がしないでもないですが、私の祖父母にも仮親がいました。仲人親というやつで、仕事の世話をしてもらったりしていたようです。今ではこういった仮親関係はさっぱり見なくなりましたが、政治の世界には未だに残っています。

 そしてこれは日本特有のものかというとそういうわけでもなく、例えばイタリアでは日本の職人などと同様に親分子分の制度が存在していました。日本と同様にイタリアの政治の世界(特に南部)にもこの親分子分制度が存在し、クライエンテリズムという言い方をします。今はどうなのかわからないのですが、19世紀スペインの政治の世界にもクライエンテリズムは存在していて、カシーケという言い方をしました。

 この親分子分の話を用いた日本とイタリア、スペインとの比較民俗学的な研究があれば面白いなと思います。政治学の方では比較した研究はあるのですが、民俗学については探したところ見つかりませんでした。

 

レヴィ=ストロース講義録

 

 レヴィ=ストロース文化人類学者の中でもっとも有名な人物といっても過言ではないであろう。また構造主義を論じた人としても知られる。氏は日本の文化についても造詣が深く、柳田国男本居宣長らの著作も読んでいるようです。今回はそのレヴィ=ストロースが30年前に日本で行った講義を書籍化したレヴィ=ストロース講義」ついて書きます。(文化人類学民俗学との関係は私にもよくわからない。文化人類学の方がより範囲が広いという認識はあるが、比較民俗学というものもある。)

 

 講義をもとにしたものであるからか、内容もわかりやすく、あまり文化人類学の本を読んだことがないというかたにもおすすめ出来ます。ただ質問の部分については読み飛ばしていいかもしれます。少しわかりづらい質問が多く、またレヴィ=ストロースが講義で話した内容を取り違えているような質問もいくつか見られます。

 

※以下は講義の内容を取り違えた質問について

 レヴィ=ストロースは未開地域の文化を見習うべきだといっているわけではなく、また未開地域の文化を積極的に保護しようといっているわけではありません。未開地域の文化を参考にしよう、破壊しないようにしようとは言っていますが、見習うと参考、積極的な保護と破壊しないようにするは似たように見えてまるで違います。見習うという考えの中には優劣のようなもの(未開社会に方が優れている)がその根底に見え隠れしており、積極的に保護しようという考えにも自らが優越的な地位にあるかのような考えが透けて見えます。そういった価値判断をやめよう(これは少し言いすぎな気がしないでもないですが)ということを、レヴィ=ストロースは質問に答える形で示しています。講義の中でこの点については何度も述べてられてるのですが、取り違えているような質問が多いので注意してください。

 

 書評をしようかと考えていたのですが、上手くまとめることが出来ず、また私が考えているようなことを本文から引用した方が伝わりやすいと考えたので、以下に引用します。  

 

 生産は消費を呼び、消費がまたいっそうの生産を求める。全人口のうち、工業の直接、関節の要求にいわば吸い寄せられた部分はますます大きくなり、巨大都市に集中し、人工的で非人間的な生活を強いられることになります。

 民主的諸制度の運営と、社会による保護の必要から作りだされ、わがもの顔に幅をきかせている官僚機構は、社会に寄生し、やがては社会全体を麻痺させようとしています。

 現代社会は、このようなモデルによっているかぎり、近い将来統治不可能なものとなりはしないだろうか、とさえ思われるのです。

 長いあいだ、少しの疑いもさしはさまれずにきたはてしない物質的、精神的に対する信仰は、今までになく深い危機に見舞われています。西欧型の文明は、自らに課してきたモデルを失い、またこのモデルを他の文明に示す勇気をも失いました。

 こうしたとき、視線を他へめぐらせ、人間の条件についての私たちの省察を閉じ込めてきた、伝統的な枠を広げるべきではないでしょうか。長いあいだ、私たちが踏みとどまってきた狭い地平の内部での経験より、いっそう多様で異なった社会での経験を、私たちの省察にとりこむべきではないしょうか。(P15、16)

 

 人類学の第一の教訓として、私たちは次のことを教えられるのです。すなわち、私たち自身のものに比べて、どれほど衝撃的で非合理に見えるものであっても、それぞれの慣習や信仰は、ある体系を成していること、そしてその内的均衡は、数世紀をかけて達成されたものであり、たったひとつの要素を除くだけでも、全体を解体させる危険があるということです。( P63)

 

 断片的な事実というものだけに注意を奪われてはなりません。西欧の文字はフェニキアに始まった、紙、火薬、羅針盤を発明したのは中国、ガラスと鋼鉄はインドに始まった・・・・・・などというように、ものごとの起きた順序が、あまりにも重視されがちなものです。しかしこうした個々の要素よりは、それぞれの文化がいかにそれらを結びつけ、取捨選択していったか、ということのほうが、重要なのです。

 文化の独自性とは、すべての人間にほぼ共通の諸問題を解決するその文化独特のやりかた、共通の諸価値観を位置づけていく遠近法にこそあるのです。すべての人間にほぼ共通というのは、人間は例外なく言語、芸術、実証的知識、宗教的信仰、社会政治組織をもっているからですが、それらの要素の割合は、文化によってけっして同一であったためしはありません。

 人類学がやろうとしていることは、それらのバラバラな事実のリストアップではなく、それらの選択の裏にかくされた、真の理由を理解することなのです。(p179)

 

レヴィ=ストロース講義」 C.レヴィ=ストロース著、川田順三・渡部公三訳 平凡社 2005年